思い出す
11月8日(金)小雨&風強し
昨夜から雨が降り、風も強い徳之島です。
定期船は来てくれるかなぁ・・・悪天候になるとすぐ心配してしまうばば。
少し前、店頭からお米が消えて心配したけれど、数日前も、あるお店に行ったらお米のコーナーがスッカラカンだったのでビックリ!
別のお店へ行くと、お米はあったけれど、値段が・・・・5㎏で3000円以上!
以前は2000円くらいで買えていたのに。
お米の値上げ、つらいなぁ。
ばば、子どもの頃は、お米を買うことは無かった。
昭和30~40年代だったし、当時、ばばの実家集落は農家さんが多くて、お米や野菜は自分たちで作っていたから。
お米を買うようになったのは、親元を離れ、兄と一緒に住みながら高校へ通った、喜界島生活から。
それでも、両親が新米の時期には「カマス」のいっぱい籾の状態で送ってくれ
ばばは、近所からリヤカーを借りて港まで行き、カマスいっぱいの籾を積んで帰り
それを精米所に持って行き、精米してもらっていた・・・・大変だったけれど懐かしいなぁ。
「お米は買うのが普通」になったのは、いつ頃からだっただろう?
社会人になった頃は、お米は買っていたと記憶しているが。
ここ数年は、友人達からお米をいただくことが、けっこう多い。
過日も、友人が「友達から送ってきた新米よ」と言って、ばばにも分けてくれた。
島では、日常的に野菜や色々な物を頂くことが多い。
昨日夕方は友人が「これ、○○ちゃんからもらったから、お裾分けよ」と「喜界ミカン」を持って来てくれた。
このミカンは、ばばの実家にもあった。
実家には5~6種類のミカンの木があったが、その中でも、この「喜界ミカン」は甘くて大好きだった。
我が家の娘達も、幼かった頃、毎週末家族で実家へ行っていたので
ミカンの季節には、じいちゃん、ばあちゃんが「喜界ミカン」を採って待っていてくれるのを楽しみにしていた。
ばばが「一番好きな果物はミカン!」になったのも、幼い頃からずっと好き放題にミカンを食べていたからだと思う。
じじと結婚してからも、ミカンの季節になると、箱買いして、顔や掌のいろが黄色くなるまで食べていた時もあったなぁ・・・
数年前からは、当時のような「バカ食べ」はしなくなったけれど。
幼い頃、ミカンが食べられるようになった時期に台風が来て、学校が休みになると
強風雨の中、集落でミカンの木がある家を走り回って、落ちたミカンを拾い集めて、お腹いっぱい食べていた。
今、実家集落へ行っても、ミカンの木のある家は少なくなったなぁと思う。
実家のミカンの木も、数年前、ミカンの木の害虫「ミカンコミバエ」にやられちゃって、数本は枯れてしまった。
今は、もう戻らない実家にミカンの木がいっぱいあり、家族みんなでミカンを食べながら話したり
笑い合った、あの時間が懐かしい・・・・