やらかしたぁ~
8月25日(日)曇り後晴れ
※今日の画像も、ブログ内容とは関係ありません。
過日、全島をドライブした時に立ち寄った「阿権集落」にある「300年ガジュマル」に沢山の実が付いていたので撮りました。
朝、食事をしていたら、急に雨が。
と言っても、大降りでは無く、1,2分で終わり「何?今の」と思った。
最近、俄雨が多いような気がするなぁ。
でも、ラジオの天気予報では晴れる確率が高そうだったので、食事の準備を始める前に洗濯をスタート。
食後、洗濯物を干し、裏庭の草抜きを少しして、じじを送り出し、パソコンの前に。
午前中からパソコンの前に座るなんて、滅多に無いんだけど。
で、昨日のブログを見て、ガク~~ン!!!
何と、昨日書いたブログの3分の1くらいしかアップしてないでは無いか~~
「出先から戻って、家に入ると、台所のテーブルに立派なバナナが置かれていた。」で文章が終わっているのだ。
何で???自分でも訳分からない。
慌てて、あれやこれや調べて、何とか全文をアップし直した。
やっぱり、ばばおかしいんじゃ無い???って再認識してガク~~ン。
じじからは「ブログアップしたら、必ず見直しなさい」って言われているけれど
「ズボラばば」は確認することが、ほぼ無いからなぁ・・・・ばば、しっかりしなさいよ!
徳之島町、ここ数ヶ月雨らしい雨が降っていない。
ずっと「いつか、断水するのでは?」と心配しているばば。
ついに1週間ほど前から、町の防災無線放送で「出来る範囲で節水にご協力下さい」
という放送が流れるようになった。
断水になったら一大事だ。
ばばが子どもの頃は、集落にある泉から、バケツ2個に入れたバケツを担いで何往復もし
水瓶や五右衛門風呂の風呂釜がいっぱいなるまで水を担ぐのが、子ども達の手伝いであり、仕事だった。
泉までは急な坂道を下って、泉から柄杓でバケツ2個のいっぱいになるまで水をくみ入れ
それを担いで、坂道を上がって家まで運ぶのだった。
水を担いだまま、坂を上がるのがきつくて、坂の途中で休む事も出来ず
坂を上がりきって平坦な場所まで、我慢、我慢だった。
家には水瓶が数個あり、それらをすべて満杯にし、更に風呂釜のいっぱいになるまで
泉と家を何往復したことだろう?
ばばの家から近い場所には、大きな泉と小さな泉があって「大泉(フーイジュン)」、「小泉(クヮーイジュン)」と言っていた。
他にも、ちょっと家から離れた場所にも泉が3カ所あった。
ばばの実家は高台にあるので、泉の水量が減ると、離れた場所にある泉まで下りて行っていた。
水を担いで往復するのもきつかったが、それ以上に季節によっては、坂道の脇にそびえ立つ大きな松の木から
大量の毛虫が地面に落ちてきて、それを踏まずに上り下りするのも大変だった。
子どもの頃の手伝いで、一番きつかったのは「水担ぎ」だったかなぁ・・・
小学校低学年の頃か?家から徒歩1歩ほどの場所に水道が出来たときの嬉しかったこと!
それから数年後、各家庭に水道が引かれた。
今は、ふつ~~~に台所にある水道の蛇口をひねれば水が使える時代。
泉から水を担いでいた時代を生きてきたからこそ、水道の有り難さを実感する。
小雨で、水不足が懸念される現在、水道の栓をひねる度に「無駄遣いはしないように気を付けよう」と思うばばです。