懐かしい!
6月9日(金)今にも降り出しそうな曇り
降りそうだけど、なかなか降らない。
今日も、そんな天気の中、じじは撮影に行ったけど
いつもの撮影ポイントに、全く鳥たちは居ないって・・・いつも、ガックリしながら帰宅。
去年もこんな時期があったよね、その内、又鳥たちも来てくれるよ。
運動だと思って、撮影ポイントの近くをウォーキングして来たら良いよ。
じじは、朝も「テレビ体操」「ラジオ体操」をやっているけれど
ばばは、全く何もしていないのに、えらそうなことを言っているばば・・・・
・・と、ここまで書いて「あっ、買い物行って来なくちゃ!」と出かけた。
チラッチラッと小雨が降り出していて、大降りにならないうちに・・・と思ったのだが。
いつもの魚屋さんへ行き、ホームセンターに寄って、掃除用品を買っていたら
突然ザァ~ッ、、ザァ~ッという物凄い音が。
雨??と思って、レジの所から外を覗いたら、土砂降り。
まさか、大降りになるとは思わなかったので、傘は車の中。
仕方が無いので、買った品物を袋に入れ体の前に抱くような格好で車まで小走り。
帽子も被っていたから、ずぶ濡れにはならなかったけれど、久しぶり、雨に濡れた。
帰宅して、車庫から出ると、傘もいらないくらいだったけれど、
畑の作物や、庭の植物たちにとっては恵みの雨になってくれたかなぁ?
まだ、空一面雲に覆われているから、夜も降るのかなぁ・・・とか、思いつつ。
ばばが、買ってきた物を袋から出して整理していると、
じじが午前中出してくれてあった「写真でみる 奄美の学校」という写真集を見せてくれた。
ばばの母校の小学校や、中学校などを見ると、本当に「今は昔」の感が・・・・
説明を見ると、小学校は明治5年に簡易小学校で、明治29年に現在の学校が開校したとのこと。
明治35年に尋常小学校となり、尋常4年、高等科4年をおき
さらに4年後には高等科4年を廃し、2年の高等科、2年の実業補修学校となったそうだ。
その後、現在地に移転したりして現在の学校名になったのは、ばばが生まれた年だったって。
その後、鉄筋校舎となり、鉄筋便所(本に書かれていたまま)が出来たり
その後に「新校歌」ができ、昭和46年に体育館ができ、その4年後に幼稚園を創立したそうだ。
ばばが小学生の頃は茅葺きの校舎では無かったし、5,6年生になると
鉄筋コンクリートの2階校舎だったなぁ。
窓から見える、山の中腹にある穴に「兎が居る」と言われ、
授業中も、しょっちゅう、兎が見えないかとよそ見していた。
田植え時期や稲刈りの時期も、授業より田んぼで働いている人たちに気を取られていたなぁ。
ばばが、幸いなことに、自分の母校で退職を迎えたが
あれから10年以上、母校に足を踏み入れたことは数回しか無い。
いつか又、正門から入って、銀杏の木やシンボルツリーのガジュマル
奉安殿など、見る機会があれば良いな・・・・・