フムフム
1月8日(金)小雨時々曇り
昨夜は寒かった!外気温が8,5度だったって。
ばばが2階に上がる頃には、毎日、エアコン入れて
寒くないように温度設定してくれてあるから、ありがたい。
1階は密閉空間が無いので、エアコン入れようと思うと
業務用のを入れなくちゃならないって言われ、
未だに夏は扇風機、冬は電気ヒーターで、我慢している。
1階は食事をするくらいだから良いとも思うけど、
お客さんがいらしたりしたら、申し訳なく思う。
何とか考えなくちゃいけないなぁと思いながら、もう8年目かな?
今朝、ばばが「ばばは、やはり夏が良い。だって、家の窓前開け放って
着るのも、薄手の着れば良いから」と言うと、
じじgは「ばばは、毎年同じ事言ってるよ。冬になれば夏が良いと言い
夏になれば冬が良いと言ってるね」って。
へ〜そうだった?
無い物ねだりは得意なばばですから・・・・・・
さて、今日もお昼頃までは、小雨チラチラの徳之島でした。
こんな日は、外へ出るのも億劫だね。
まだ、定期船も欠航だし、お店に行っても卵や牛乳は無いだろうな・・・
夕方、お魚屋さんに行きながら、スーパーも寄ってはみようかな?
話は変わって・・・・
今朝は、何故か徳之島の島唄「全島口説き」のことを話しながらの朝食。
この歌は、徳之島の各集落の事を色々歌っているのだが
例えば、ばば達が現在すんでいる亀津のことは
「子どもを教育する為に、親は家の屋根の近くの木材が映って見えるほど
薄いお粥を食べて節約する」とか、美人が多いのは「山(さん)集落」とか
「集落が長いのは母間」とか落花生が沢山獲れるのは「前野」とか・・・
全島の集落について、歌っているのだが、ばばは自分の実家集落の事は
どう歌われていたか、今朝はどうしても思い出せなかった。
すると、じじがすぐにスマホで調べてくれ、歌まで聴かせてくれた。
今は亡き、島唄の第一人者、広田勝重さんが歌っていた。
ばばの実家集落は「畳がきれいに出来る所」と歌われていた。
なるほど・・・唄を聴いていると「フムフム」と頷きながら
各集落の場所や、そのうちの何カ所かでの思い出などが次々と蘇った。
そう言えば、実家では、田んぼに、イグサを作っていて
生長したイグサを刈り取り、細く裂いて乾かし、
それをムシロを織る職人さんに織ってもらって、畳の表にし
正月前に、父は毎年、新しい畳を作っていたなぁ・・・・等と思いだした。
先ほどの島唄の録音をしたのが、ばばの実家だったことも思い出した。
ばばの家は集落の一番外れだったから、雑音が入らないと思ったのか?
わざわざ、奄美市からレコード店の方が数名、徳之島に来られて
島の唄者の方々数名も集まって、録音していたと、うっすら記憶している。
その後、レコードが出来た時に、ばば両親にも1枚下さった。
そのレコードを何十回も聞いた記憶があり、じじと結婚した時は
レコードも持って来たが、それからCDの時代になり、そのレコードは廃棄してしまった。
今にして思えば、何て勿体ない事をしたんだろうと悔やまれてならない。
レコード作成の時の、島の唄者の方々も、1名はご健在だけど
他の方々は、お亡くなりになった。
実家で島唄を録音したのが、今から60年位も前だったかなぁ・・・・
島唄は、島の宝だとばばは思っている。
唄者の方々亡き後も、その方々のお若い頃の歌声が残っているって
素晴らしい事だなぁ・・・と思う。
島唄は、方言で歌われたりして、意味は分からない所もあるけれど
蛇皮線のもの悲しい音色を聞くと、何故か泣きたくなってしまう。
年をとったせいかなぁ・・・・と思う。
島唄、ずっと歌い継いで行けたら良いなぁ・・・・