繋がっている

4月24日(金)曇り時々晴れ間

袋のインスタントラーメン、食べますか?

我が家では10日に1回か、2週間に1回位、食べるかなぁ?

それが、数年前から1袋のラーメンを、じじとばば2人で半分こして食べる。

10年位前なら、じじは1袋のラーメンなんかペロッと食べていたと思うんだけど。

これが年とったって事?とか思いながら、今日のお昼はラーメン。

キャベツや豚骨、ネギ、揚げ玉,半熟卵など入れて。

食事の量が減ったという事は,体が要求しなくなったのかなぁ?

若い頃はバンバン動き回っていたけど、退職後は,あの当時と比べたら

3分の一も動いてないかも知れないと思う。

体が「もう、満腹だよ〜」と感じたら、「ごちそうさま〜」・・・で、良いんだよね。

子どもの頃,母が「働かざる者、食うべからず」という慣用句を、ばばに教えた。

兄や姉が働き者で、一生懸命両親の手伝いをしているのに

ばばだけ、どうにかしてサボって楽したいとばかり思っていた。

「働かざるは・・・・」なんて、母が言っても、

入学前のばばに,その意味は分からなかったけれど

成長するにつれ、母が言いたかった事が分かるようになって

更に年を重ねると、怠け者だった自分を情けなく思ったり

両親に申し訳なく思ったり。

今でも,島内のあるコースを車で走る時、胸がいっぱいになる事がある。

今から30年以上前、父は、そのコースの途中にある建設会社で働いていた。

もう、70歳を超えていたと思う。

家からその職場まで4,5キロ位あるだろうか?

明治生まれの父は,車の免許は持っていなかったので徒歩で通勤していた。

会社の始業時間に間に合わせるためには7時前には家を出なければならなかっただろう。

雨の日も風の日も、真夏の炎天下、凍えるような寒風の中・・・・・

そして、頑張って、いただいた給料から、孫達に毎週末、お正月、

学期末等、事ある毎にお小遣いをくれていたのだ。

父は,いつも穏やかで、声を荒らげる場面を一度も見た事が無い。

若い頃から半世紀以上、農業を頑張り、農業をやめた後は、建設会社で働いていた。

母と農業をしていた頃は、稲作、サトウキビ、落花生、芋類,麦・・・

と、色々な作物を作って現金収入を得ていた。

朝は薄暗いうちに家を出て、夕方は星を見ながら帰宅する事もあった。

それが当たり前だと,子どもの頃のばばは思っていた。

でも、自分が大人になり,結婚し、子どもが出来、親となった時

両親の事を思い出すと、ありがたくて,いくら感謝してもしきれないとあらためて思った。

親の子どもに対する愛情って,本当に「無償の愛」なんだよなぁ・・・と思う。

両親が元気なうちに、もっともっと親孝行をすれば良かったと

ずっと後悔しているけど、「後悔先に立たず」・・・これも、ばばが子どもの頃、

母が教えてくれた言葉。

あとひとつ、「親の意見とナスの花は千に一つも無駄は無い」という諺も

本当にその通りだと思う。

小さい頃、色々難しい事を母が言っても、意味も分からなかったが

その意味が理解できるようになった時、本当に親のありがたさが分かった。

「親孝行、したい時に親は無し」って言うけれど,正にその通り。

もっと感謝の気持ちを口にし、行動でも親を喜ばせる事を沢山すれば良かった。

もう、叶わない事と思っていても,未だに思う事がある。

父は園芸が好きで、庭にも沢山の盆栽や植物を育てていた。

両親亡き後、実家からクチナシの枝を手折ってきて,我が家の庭に挿したら

見事根付き、数年前から八重咲きの花を咲かせ,芳香を漂わせる。

R年・クチナシ
※きまげんざいのクチナシの木

クチナシの木や花を見る度に,父を思い出す。

そして、何故か父と繋がっているような気がする。

ばばが元気なうちは、大事に大事に見守っていきたいと思っている。

今年も,沢山の花を咲かせてくれるかなぁ・・・・

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