やった方、言った方は憶えていない?・・・・
2月29日(土)晴れ
朝は「今日は昨日より天気悪くなるだろうなぁ・・・」と思いながらも
「まぁ、軒下の干せば良い事だよ」と洗濯機のスイッチオン!
ご近所でお弔いが出て、昨夜はお通夜に行って来て、
今朝は告別式に行こうと思っていたので、
出掛けるまでに洗濯物を干して・・・と。
午前中は告別式に行って来て、棚を1つ片付けたら、もう、お昼。
朝、干した洗濯物は、ほぼ乾いている。
そんなに寒くも無いし、穏やかな天気の徳之島です。
ばばは、これまで沢山の方達と関わりながら今日に至っている。
そんな中で「周囲の方々への感謝の気持をもとう」と
思い始めたのは、何歳くらいからだろう?と考えたりする。
友人知人、お隣ご近所さん、町内外の方々もっと広げれば
数え切れない方々の支えがあり、その中から学び、そして今の自分がある。
幼い頃は、結構やんちゃもし、母親から厳しく叱られた事も多々。
自分が、母と々立場になった時、
ばばを厳しく叱ってくれた母の気持ちも理解できたけど
一時期は「厳しすぎる(ばばの私感)母」が嫌いだった。
小学校時代は同級生同士他愛ない事で喧嘩もし
校則を破って1回だけ夜間外出をし・・・。
その都度、先生から呼ばれ、叱られたのは、ばばばかり。
ばばを叱って下さった恩師は、大勢の中の一人の児童を
叱った事など憶えていないと思うけれど、叱られたばばの方は
半世紀以上経っても憶えている。
先日帰省した甥っ子1号君が、ばばに話した事でも
ばば自身がした事なのに、全く記憶に無くて大笑いした事があった。
その1つが・・・・
ばばが食べ物で甥っ子を釣って、自分の仕事を押しつけた事。
ばばは高校から島を出たので、きっと社会人1年生で
1号君は小学校低学年頃の事だろうか?
ある日「カレー作ったから、食べにおいで」と1号君を呼んだそうだ。
食卓のカレーは、やけに水っぽかったそうだ。
カレーを食べた1号君に「今日、お風呂沸かしてね」と言ったそうだ。
当時、五右衛門風呂で、薪を燃やしてお風呂を焚いていたが
ばばは「お風呂を沸かす当番」だったらしい。
1号君は四苦八苦しながら、何とか風呂釜の火を焚きつけようとするけれど
なかなか上手く出来ず、ばあちゃん(ばば母)から怒られたらしい。
はぁ〜せめて、火を焚きつけて、火の番をさせるくらいなら良かったのに
悪い事したなぁ・・・・
それにしても6,7歳の子にお風呂を焚かせながら、
ばばは」一体何をしていたんだろう?
それと、あと1つ・・・・
ばばの家では、お正月などに家族で「百人一首」をするのが恒例だった。
いつも読み手は母。
ははが謡うように読んでいた事を今でも思い出す。
カルタを取る枚数で父や兄、姉に勝てるはずも無いばばだったが
母は「上の句を憶えておけば、すぐ取れるよ」と言ってくれ
ばばは百人一首の「上の句」と「下の句」を必死に憶えた記憶がある。
この経験が、ばばを「国語教師になりたい!」と思わせた要因の1つかも知れない・・・・
時には、読み手をばばがしたらしい・・・・。
と思ったのは、1号君が話した事から思ったのだが。
ある年、百人一首カルタ取り大会をいつものようにしていた。
畳の上に広げられたカルタ。
ばばは、突然「オロギバンタ〜〜〜 風が吹けば 寒いなぁ」〜〜〜と読んだそうだ。
すると、1号君が「ハイッ!」と元気よく手を上げ、1枚のカルタを取ったって。
なぜ、手を上げてからカルタを取ったのか?想像しても可愛く、おかしいけれど。
勿論、そんな札が並べられているはずも無いよね。
「ハィ!」っと勢いよくカルタを取った後、どんな展開になったのかは
1号君も話さなかったが、とにかく、ばばが適当に
「オロギバンタ〜〜」っと即興で読み、
幼かった1号君は真面目に1枚のカルタ取ったんだろうね。
「オロギバンタ」と言うのは、実家裏にある高台で太平洋が一望できて
お正月になれば、集落の学生や青年が
手作りの大きな四角い凧を持って来て、凧上げをしていた場所。
※画像は「オロギバンタ」から見下ろす「フンニャトゥ浜」。
冬場、海側から吹き付ける風は強く、だから凧上げにも良い場所だったんだよね。
その「オロギバンタ」を「カルタ取り」につかうなんて・・・・・
まだ文字が読めなかったであろう、1号君。
大の大人に交じって、やっと1枚取れたと喜び、興奮しただろうに
ごめんね〜
大人と一緒に楽しんだ初の「百人一首カルタ大会」に
変なおばちゃん(ばば)のおかげで、半世紀経っても
忘れられない思い出になっているみたいだから、笑って許してね!
「お風呂焚き」「カルタ大会」の事、ばばはすっかり忘れていたけど
1号君から話を聞かされ、ちょっと反省したりのばばでした。