イジュンって分かるかなぁ
6月24日(月)曇り
去る14日から義姉が同窓会に出回する為2泊3日で帰省した。
ゆっくりと姉妹の時間が持てると思い
姉と2人で、義姉が島内で行きたいと言っていた三京集落までスムーズに行けるか走り
その後、当部集落まで行って、天城町へ抜けるコースを案内しようと走って下見。
しかし、三京までは直線コースで30分足らずで行けたのに
当部へ走り出して、湧水泉の「アガリマタイジュン」まで行って
黒ウサギ観察小屋のあるダムまで行って、いざ、天城町へと思ったら
道が分からない。
進もうとしていた道は、車の離合も出来そうに無い狭い山道。
(あ〜じじが一緒だったら難なく行けるのに)と思いつつ
姉と2人では自信が無いし、それ以上に怖いので
又、来た道をそのまま引き返して帰宅するという、情けない事に。
でもね、義姉が一番行きたいと話した三京へ行くのは、自信満々だったから
義姉を喜ばす事が出来ると思っていた。
だけど、義姉達は観光バスで三京もアガリマタイジュンも行ったんだって。
義姉も、同窓会での帰省で、同級生達との行動が主だったし
教え子ちゃん達からも招待を受けたりして、姉妹での時間を持つ事は難しかったのね。
もっと楽しい時間を共有したかった〜〜〜と思った、姉とばばだが
又、次の機会に・・・と思っている。
義姉達は当部集落にある「アガリマタイジュン」では、湧水泉と言う事で
泉の水を掬って飲んだそうだが、直後に「大腸菌云々・・」という話が出たらしい。
でも、帰るまで姉は元気で、ばばも安心した。
「アガリマタイジュン」が有名になった頃・・・
かれこれ10年前くらいかなぁ?「泉の水」がとても美味しいと言う評判を聞き
わざわざタンクを持って出かけ、水を汲んで来て、炊飯したりコーヒーを淹れたりしてみたが
ばばに、普通の水道水との違いは分からなかった。
「アガリマタイジュン」の「アガリマタ」とは、地名かな?
「イジュン」の意味が分かるのは、年配の人たちが多いと思うけど、どうだろう?
「イジュン」とは「泉」の方言。
だから「アガリマタイジュン」とは「アガリマタにある泉」という意味だとばばは勝手に思っている。
イジュンと言えば・・・
ばばの実家集落にも3つ位、登下校で通る道端の畑などにも2,3カ所あった。
実家集落に水道が引かれたのは、ばばが小学生の頃だったか?
それも、最初は集落内の数カ所に設置されただけだった。
水道が出来るまでは、水くみが、ばばの一番の手伝いだったかも知れない。
まだ小さい頃は天秤棒?みたいな棒の両先端にバケツをぶら下げ
それを担いで集落内の泉まで行き、ひしゃくで掬った水をバケツのいっぱいになるまで入れ
それを担いで家まで運ぶのだが、その水でお風呂も炊事も洗い物もする。
だから、何十回も家とイジュンを往復し、家にあった大きな焼き物の瓿と
五右衛門風呂のいっぱいになるまで運ぶのだ。
だから水はとても貴重だった。
今考えれば、大きな岩の置くから湧き出てくる水が溜まって泉になっているのだが
その水を消毒とかしていたという記憶も無いし、
水質は大丈夫だったのだろうかと今になって思う。
当時、水を飲んでお腹が痛くなったとか聞いた事も無いし、
田んぼの片隅に湧き出ていた泉の水も、田植えや稲刈りの時など平気で飲んでいた。
田んぼに泉には小さなエビの赤ちゃんがいて、自分が水を飲んだ後は
そのエビの赤ちゃんをツワブキの葉っぱなどで掬おうとチャレンジしたりもしていたっけ・・・
干ばつの年は、イジュンの水量も少なく、窪地に水が溜まるまで待って
柄杓で汲んでいた。
水が溜まるまで、先輩や後輩、同級生の友達と色々な話をしながら待っていた。
実家へ行く時に、よくイジュンのあった近くを通るけど
現在は、イジュンへ下りる道も草ボウボウ、獣道のようになっていて
とても踏み込む勇気は無い。
万が一、いつか道がきれいになったら、親友のSちゃんを誘って
イジュンへ言ってみたいと思っているけれど、望み薄かなぁ。。。。。
明日でも、もう少しイジュンについては書いてみようかな?