1枚のワンピース
3月19日(火)曇り風強
ここ数日、少しの暇を見つけては倉庫の片付けをしている。
食器類、タオルや、寝具、じじの趣味だったアマチュア無線機や
バイク関係の品、扇風機やヒーター等々。
なかなか捗らない。
そんな中、衣装ケースの中から出て来た1枚のワンピース。
見ているうちに、何だか切なくなってきて
色々な思いが一気にこみ上げてきた。
このワンピースは長女がお腹に居た時に買った、ワンピース。
買ってから40年以上が経った。
仕事柄、職場でこのようなワンピースを着ることは無かったが
必要に迫られて買った。
ばばが社会人になって3ヶ月は全く免許と関係の無い職場で働き
4ヶ月目に、自分の免許を生かせる職場ではあったが
正規では無く臨時職で10ヶ月間働き、その期限が切れる少し前
事務局から連絡があり正式採用された。
面接官から2つの職場を上げられ、どちらが良いですか?と言われたので
実家からも近い職場を選択した。
車の免許も無く、定期的なバスも無く、
やむを得ず、ばばは職場近くで下宿をすることに。
お世話になったのは、当時既に80歳は超えていたおばあちゃん一人暮らしのお宅。
そのお宅の4畳半位の部屋を借り、寝る時は6畳位の表の間に寝ていた。
下宿なので、高齢のおばあちゃんが朝食、夕食を準備して下さった。
土曜日の午後にはバスで実家に戻り、日曜日の夕方、下宿に戻るという生活が1年ほど続いた。
ばばは、祖父母との思い出は全然無かったが、おじいちゃんやおばあちゃんが大好きだった。
だから、仕事から帰宅すると毎日のように、下宿のおばあちゃんと手をつないで散歩したりするのが楽しみだった。
おばあちゃんも、ばばを我が子のように可愛がって下さった。
下宿して2年目、ばばは車の免許を取り、自宅から通うようになった。
おばあちゃんと別れるのは辛かったけど、自宅に帰る前などに、おばあちゃんの家に寄って
お話をしたり、お茶を頂いたりした。
自宅から通勤するようになって3年目、じじと結婚することになり、ばばは加計呂麻へ。
その後も、おばあちゃんに手紙を書いたりして交流は続いていた。
そのおばあちゃんから、「歳の祝い(長寿祝い)」の連絡が届いた。
88歳の歳の米寿の祝いだったと記憶している。
すぐに出席しますと返事した。
お祝いは8月だったと思う。
何を着ていこう・・・お腹には長女がいる。
普通のスーツは着ることが出来ない。
やっと、画像のワンピースを見つけた。
プリーツ仕様で、少しお腹が大きくても着られる。
夏休み、おばあちゃんのお祝いに合わせて帰省し、新調したワンピースでお祝いに・・・
おばあちゃんは、ばばの手を取り涙を浮かべて喜んでくれた。
それ以後も、おばあちゃんとの交流は続いたけれど、
数年後にはお亡くなりになった。
大好きなおばあちゃんのお祝いに参加するために買った、
当時のばばの給料からしたら高価なワンピースだった。
普段、着ることはほとんど無かったけれど、次女を授かった時や、
県外への旅行などでは着用もした。
実際には20回も着てはいないと思う。
昨日、衣装ケースから出して見た時、背中のファスナーはさすがに開け閉めしにくくなっていたが
それ以外、今でも充分着用は可能かなぁと思ったりした。
このワンピースは、優しかった下宿屋のおばあちゃん、給料も少なかった新婚時代、
我が子誕生前の喜びと不安な思い等を思い出させる。
若い頃の洋服などは全て廃棄したけれど、何故かこのワンピースは40年経っても捨てることが出来ない。
下宿のおばあちゃんとは、不思議なご縁で結ばれていて
ばばが加計呂麻から島へ戻った時の職場に、おばあちゃんの息子さん、T先輩も着任。
息子さんと言っても、ばばよりはずっと先輩だった。
それから7年間、同じ職場で働き、その間、職場の打ち上げ会の時などは
ばばが「運転手」になってT先輩送り迎えをした。
そして、更に時間は流れ、ばばが、別の職場へ転勤になった時
T先輩のお孫さんで、下宿のおばあちゃんにとっては曾孫さんとのご縁ができた。
その曾孫さんも、今は立派な社会人になり、結婚し「素敵なパパ」になっている。
40年以上も前に購入した1枚のワンピース・・・・
このワンピースは、下宿のおばあちゃん、そのお子さん、お孫さん、
曾孫さんとのご縁まで思い出させてくれる。
今後、誰かが着ることも無いけれど、廃棄できない1枚のワンピース。
写真を撮った後は、又畳んで元通り衣装ケースに戻した。