感謝!涙が出そうになる
1月26日(土)曇り時々晴れ
自分の親はいつまでも元気でいて欲しい・・・というか
「いつか別れの日が来る」ということは考えたくも無かった。
しかし、人の世の常、命ある者はいつか滅びる。。。。
と頭では分かっていても寂しい。
自分の子供達が会う度に「お母さん、いつまでも元気でいてよね。」
と言うようになったのは数年前から。
子供達と一緒に過ごす時間は楽しい。
朝「気をつけて行っていらっしゃい」と玄関で見送り
夜「お帰りなさい」と迎える。
子供達は帰る前には「今、会社出たよ。何か買う物ある?」とか
「もう、○○駅着いたよ。買い忘れた物は無い?」と必ずメールをくれる。
そして、毎日のように、ばばが島では食べたことが無いような
美味しいスイーツを買って帰ってくる。
じじと、ばばはとっくに夕食終わっているけれど、
娘は9時10時にやっと夕食というのが普通。
そして食事を終えた娘が、ノンカフェインの紅茶やお茶を入れてくれ
買って来てくれたスイーツを、小さくカットして一口か二口分添えてくれる。
たまには11時になっていることもあった。
こんな夜中に、甘い物食べたり、お茶を飲む事なんて、島では絶対に無いこと。
でも、子供達のお喋りを聞きながら、夜中に飲食するお茶やスイーツも
都会にいる間は良いか〜と思いながら楽しい時間を共有した。
又、ばばが腕が痛いということを前もって知っていたので
上京したらすぐにスマホで情報収集、プリントアウトして、
オープン型MRIのある病院を探してくれ、
病院まで行き方や、地図も揃えてくれた。
ランチや食事会をしようと、提案すればお店を探し、予約してくれる。
長女は、ばばが去年だったか?娘の家にあった素敵な木台を見て
「素敵〜お母さんも欲しい」と言ったら
「今度買っておくね」と言ってくれ、今回わざわざ買って待っていてくれ
ばばが、頼んで買って貰ったのに「私からのプレゼント!」って・・・
帰る前日、ランチに行くため着替えようとして
体に蕁麻疹があるのを見つけ「痛くも痒くも無いから大丈夫」
と言うばばに「今日のランチは中止!まず、お母さんが病院へ行くことが大事!」と
ばばの蕁麻疹の肌の写真を撮り、姉に送って・・・・
あまりに慌てふためいて病院へ向かったために、鍵を持たずに家を出てしまい
慌ててじじに電話して、病院に向かったのだが・・・
受付を済ませ待っていたら、急に娘が現れ、ビックリ仰天!
「鍵持ってきたよ」と言うけれど、本当はばばの診察結果が心配で
わざわざ追いかけて来てくれたんだよね。
じじとばばが帰る日には、バス停でバスを待つじじとばばに向かって
マンションの前からずっと手を振り続けていた。
見上げると、ちょうど電線とかが邪魔になって娘が見にくかったので
場所移動すると、又ばばの方へ向かって一生懸命手を振っていた。
バスが来るまで何分位だったろう?
マンションを見上げる度に、手を振り続けている娘達が見えた。
その日は日曜日だったから、せっかくの休みなのに
朝早く出発する、じじとばばを見送るためにわざわざ早起きしてくれて・・・
バスに乗った後、思わず涙が出そうになった。
娘達が、じじやばばを大切にしてくれる事に感謝すると共に
「私は、この子達より仕事を優先してきたのに・・・」と心苦しくもなる。
そんなばばに「お母さんが働いてくれたから、今の私たちがあるのよ」と言ってくれる。
きっと、じじやじじ両親が娘達に言い聞かせていたからだと思うけれど。
今は、娘達から教えられ学ぶことが多くなってきたばば。
田舎育ちのばばにとって都会は騒々しいし、
あまり好きでは無いけれど、元気な間は上京して
娘達と会ってお喋りしたり、一緒に食事をしたりしたいと思う。
でも、考えてみたら「あと100回、娘達と会えるだろうか?」。
徳之島から都会までは、直行便もないし飛行機運賃がとても高い。
「それだけ使うんだったら外国へ行って帰って来られるよ」とも聞く。
家族で帰省となると莫大な出費になる。
その点、今は自由人のじじとばば。
「シルバー割引」とか色々な特割を使えば、はるかに安い運賃で上京できる。
年に1,2回位、都会の喧噪から逃れ子供達に故郷の自然の中で
ゆったり過ごして欲しいとも思うけれど・・・現実的にはね・・・
年と共に、子供達へ感謝の気持ちが強くなるばばです。