牛乳と芋

10月6日(土)晴れ
久しぶりに、降り注ぐお日様の元、洗濯物を干した。
朝、8時頃補干したら、昼前にはもう乾いていたけれど
せっかくだから、3時頃まで干しておこうかと・・・

台風がやっと過ぎて、細々した後始末を始めなくちゃならないけれど
それより大変なのが・・・・
自宅の温水器を業者さんにお願いして廃棄する事
壊れた車庫のドアを直して貰う事
貸家にしていた家の被害が大きいので解体して貰う事
そのためには九州電力さんにお願いして電線などを外して貰う事・・・
でも・・・どの業者さんも、あとしばらくは多忙だろうから
今月中では無理かも知れないけれど
次の台風さえ来なければ、今年中で出来れば良いかな?と
気長に待つ事にした・・・・
焦っても自分ではどうしようも無いからね。

一昨日、じじに写真の物を見せたら「これ何?」って。
「よぉ〜く見て。分かるでしょ」
「芋!」


「はい正解!でも芋は芋でも安納芋で〜す」と答えたばば。

じじは、その時、ちょうどコーヒーを淹れようとしていて
カップには牛乳も入れていた。
「牛乳と芋見たら、小学生の頃の事を思い出すなぁ」って。
じじが小学生の頃、鞄の横にコップを下げて登校していたそうだ。
そして、鞄の中には「お芋さん」も数個。
2校時の休み時間?になると、先生が大きなやかんに入れたミルクを
子供達のコップに入れてくれ、
そのミルクと家から持って行った芋を一緒に食べていたって。
たまにはお母さんが「この芋は先生の分」と言って、
先生の分の芋も持たせてくれたって。

当時のミルクと言ってもユニセフから配布された
脱脂粉乳を、用務員さんが、大きな大きな鍋で薪を燃やして作ってくれていた。
ばばも、飲んだ記憶はあるけれど、何年生頃まで飲んでいたのかは定かで無い。
ただ、幼稚園の時、初めて脱脂粉乳で作ったミルクを最初飲んだ時
前日に先生が「明日は美味しい物を飲ませますから
お家から湯飲みを持ってきて下さい」というような事を帰る前に話した。
翌日、ばばは・・・・・・
湯飲みではなく、大きな丼を持って登園した。
「美味しい物が飲める!なら、大きな入れ物が良い!」
なんて幼稚園児だったんでしょう・・・・
しかし・・ミルクをついでくれる時、ばばはワクワクして待っていたが
他の友達の湯飲みに入れた分量と同じ位しか先生が入れてくれずガッカリした。

当然の事なのにね。
よっぽどずる賢かった?ばばは。。。
もちろん、翌日からは友達と同じような湯飲みを持って登園したけどね。
最初、丼を持って登園するばばを、母はどう思ったのだろう?
母にどのような説明をして、大きな丼を持って行ったのだろう?

あの脱脂粉乳・・・幼稚園や小学校の頃は美味しかったかも知れないけれど
二度と飲みたいとは思わない。
当時は子供達に栄養を・・・と、わざわざ各学校で炊いてくれていたと思うけど。

大人になっても、ばばは牛乳が飲めない。
だから、38年間の現職時代、給食の時も牛乳だけは飲まなかった。
飲んだら、即腹痛・・・が辛いから。
退職してから、友人が「牛乳温めて飲んでごらん、飲めると思うよ」って
言ってくれたけど・・やはり、ダメだった。

牛乳を温めて泡立て、そこへコーヒーを入れたのは飲めるんだけど
ここ数年は、コーヒーもブラックでしか飲まなくなった。
牛乳は重要な栄養源とは分かっているけど・・・飲めないんだよなぁ・・・
半世紀以上、飲まずに生きてきたんだから
今更無理して飲む事も無いかな?他の食物で栄養を補えばと思っている。
牛乳を美味しく飲める人がうらやましいとも思うけど・・・

牛乳を飲みながら、芋を見てじじが話した事から
幼稚園や小学校時代の事を思い出した、ばばでした。

 

 


 

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ばば
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