癒やされるけど寂しい

8月3日(金)晴れ
やっ〜〜と、実家のお墓参りに行ってきた。
先月15日、姉親子が帰省した折に行って、
その後、台風の接近、荒れ模様の天気で、なかなか出かけられなかったが
お墓参りに行ってきたら何かホッとした。
お墓参りに行く時は必ず実家と姉の婚家のも寄って様子を見てくる。
今はどちらも無人だけど・・・
実家や実家集落って、本当に良いなぁと、毎回思う。
これまでにも書いているが、お墓参りに行くついでに
母校の小学校と、その周辺の風景を見るのが好き!

6年間学び、それから約半世紀近く経って母校に5年間勤めたばば。
校舎もばばの勤務中に建て替えられた。
ばばが小学校時代も面影は・・
シンボルツリーのガジュマルくらいだけが残っている。
ばばが小学生だった頃は4,500名が学んでいたが
今は50名もいないんじゃ無いかなぁ・・・

どんどん過疎化し、人口も減り寂しいなぁ。
実家へ寄って、姉の婚家へ向かう途中「ソージイジュン」と
看板があったよと姉が言った。
「ソージ」は竿地という地名で、「イジュン」とは「泉」のこと。
各家に水道が惹かれる前までは、
この泉からの水汲みが子どもの一番の仕事だった。
すぐ近くに、小さな泉が、もう一カ所あって、
「大きい泉」「小さい泉」と呼んでいて、どちらかから水をバケツに入れ
天秤棒で担いで家まで運んでいた。
一滴の水もこぼすのが惜しかった。
お風呂の水、炊事用の水、全て天秤棒で担いで運んだ水でまかなっていたから
今のように、蛇口から水を出しっぱなしなんて無駄は一切考えられなかった。

その、「ソージイジュン」・・・
細くて急な坂道を下りて行くのだが、その入り口さえ分からないほど
雑草が伸びていた。
この小道を下りて、田んぼやサトウキビ畑に行く人達もいたけど
その畑や田んぼは見る事さえ出来なかった。
雑木や雑草が生え放題。
今後、益々荒れていくんだろうな。。。
「泉」の存在さえ知らない世代が増えていると思う。

姉と2人で話したのだが、今、実家集落の人口は100名に満たないのでは無いかと。
ばば達が子どもの頃は、一家族4,5人はザラで、
ばばの家は一時期、」従姉妹達も同居していたので10人家族だった。
10人家族も珍しくなかった昭和中期。
今は・・・
子どもの数は極端に減り、ひとり暮らしの方も結構多い。

ばばの同級生達も、集団就職で都会へ出て
都会で結婚し、家庭を築き、そのまま帰って来ない子達も多い。

現在でも、高校までは島の学校を出ても
その後は、ほぼ7,80%以上の子ども達が島を出て行っていると思う。
島には大学も専門学校も無いし、働く場も限られている。
今後も若い人達が出て行くのを止めることは難しいと思う。

いくら自然環境が良くても、人情が厚くても
それだけで、若者が定着することは・・・・・・。

大好きな実家集落、大好きな徳之島。
でも、あと20年後・・・島はどう変わっているのだろう。

お墓参りの度に癒やされると同時に、寂しい思いも強くするばばです。

 

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