残せるかな・・・母の味
6月7日(木)晴
またしても幼い女の子が両親の虐待によって、尊い命を奪われたという
ニュースが報じられていますね。
5才の子に「朝4時に起きて体重を量れ」とか
「ひらがなの練習をしろ」とか・・・・・
聞いているだけで、胸が締め付けられます。
悲しい世の中ですね。
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天気が回復した。
さて、何をしようか?
と台所を見ると、ジャガイモがある、タマネギがある、
冷蔵庫を開けたら人参がある、キュウリもある、マカロニも卵もある。
朝からサラダでも作ってみようか?
張り切って、ポテトサラダをたぷり作った。
あと1品位作っておけば、夕方楽できるなぁ・・・
よし!ほうれん草のごま和えを作っておこう。
タンパク質はどうしよう?
一口サイズの豆腐があるから使えば良いかな?
肉は?
食べる直前に焼けば良いし・・・
あっ、味噌汁用に出汁を取っておこう。
煮物はどうする?
考えると、次から次としなければならない事はあるなぁ。
まぁ、適当に下ごしらえして置いて、後は夕方に・・・
1年365日、ほぼ毎日3食、食事の準備をするって本当に大変。
仕事をしていた時は、育児と家事をしながら
朝は6時過ぎに家を出て、夕方は6時前後帰宅する。
そんな中、よく頑張ったなぁ・・・と今にして思う。
当たり前の事のようだけど、実は凄い事だと最近よく思う。
義両親の協力あってこそ出来た事だと、今は亡き義両親にも感謝する。
未だにばばは「義母さんは凄かったなぁ」と思う。
週末とか長期休業になると、じじ妹家族、ばば家族も良く両親宅に集まった。
総勢10数人。
義母はひとりで全員分の料理を作り、歓待してくれた。
1週間に1、2回、ばばにはとても真似できそうでない。
一方、ばばの母も、毎週末実家へ行くばば家族5人と姉親子の分
「油そうめん」「野菜の煮物」じじのためには「刺身」等準備して
待っていてくれた。
70代から80才前半まで毎週、毎週・・・・
そして、ばばが実家に近い隣町で仕事をしていた時は
毎日実家へ寄って母の顔を見てから帰宅していた。
そんな時も、母は「油そうめん」などを準備し、門まで出て
ばばが帰ってくるのを待っていてくれた。
自宅へ戻って、夕食の準備もしなければならないので
母とふたりで過ごす時間は短かったけれど、
母にとって、ばばの帰る時間を待つのが一番楽しみな時間であったと思う。
80才過ぎても、娘のために得意料理の「油そうめん」を作り
時には家族のためにまで肉料理などを準備して
お土産に持たせてくれる事もよくあった。
「油そうめん」は高級な料理では決してない。
でも、ばばの中でも、我が家の娘達の中でも「花徳のばあちゃん」と言えば
「油そうめん」と言うほど心に染みついていると思う。
ばばがいくら頑張っても、母の、あの味は出せない。
ばばの中での「母の味」は「油そうめん」に尽きる。
ばばも娘達に「母の味」を残してあげる事が出来るだろうか・・・・