あと5日・・・
4月3日(火)晴れたり曇ったり
過日、友人からいただいた「食べるほおずき」、
じじの留守中に、ばばだけ試食してみた。
「美味しい!」という事が分かったので、独り占めしようと思ったけど
今日の昼食後「じじ〜、ほおずき食べてみる?」と聞いたら
即「ハイッ!」と。
実だけ取り出して、洗って差し出すと、口にポイッ。
そして「おぉ〜」「おぉ〜」「おぉ〜」と何回も吠えて?いる。
よっぽど美味しかったらしい。
ひとり3個ずつもらったので、残り、あと2個。
今度は冷やして食べてみようかな?
もしも、今後、スーパーなどで地元農家さんが出品していたら
迷わず買ってこなくちゃ!
昨日、ある場所に行ったら、Hさんと会った。
「スカーフの持ち主は現れましたか?」ってHさん。
「いえ、まだ、ばばが括った場所に下がっています」って答えた。
ブログ読んで下さったのね。
スカーフの持ち主はまだ現れません。
地面に落ちていたら気づくかも知れないけれど
道路脇に括り付けて置いても気づきにくいのかもね。。。。
最近・・・
亡くなったばばの両親や、じじの両親の事が
じじとばばの会話で良く話題になる。
そして、自分たちの余生についても・・・・
ばば姉のご近所さんが、3人立て続けに引っ越す事になった事は以前書いた。
姉の住む一帯は連帯意識も強く親子姉妹のような関係の方達。
1月末頃にひとり、2月末に又ひとり。
そして、今月8日に、姉とばばが「お母さん」のように慕っている方が
とうとう都会へ引っ越して行かれる。
1月、2月に引っ越した2人は、引っ越し先も同じ校区だし
会おうと思えば徒歩ででも会いに行ける。
しかし、8日に引っ越して行かれるおばちゃんは大都会へ行かれる。
ご高齢だし、もう二度と会えないかも知れない。
このおばちゃんは、姉と本当の親子のようにつきあって下さり
毎日のように、姉宅の縁側に来て話したり、手作りのおやつやお総菜を
届けて下さったりしていた。
ここ数ヶ月は、週末の売り出しなどで欲しい物があれば
姉に頼んで買ってきてもらうという事が多かった。
徒歩で、荷物を持ってのお店と家の往復は
帰り道が坂道でもあり、きっと疲れてしまって、
相当きつかったのだろう。
ばばは、もう、何ヶ月もおばちゃんと会ったことも無い。
おばちゃんの出発前には、今までの感謝とお礼の手紙を渡して
出発当日は宿泊先まで行って、見送ってきたいと思っている。
おばちゃんも住み慣れた場所を離れるのは辛いと思う。
しかし、たまに血圧が急に上がったりして、病院へ行ったりもしているらしい。
子どもさん達が都会で仕事をしているし、島へ帰るとなると大変だ。
そこで、去年辺りから親子で話し合い、今年4月にはおばちゃんが
都会の子どもさん達の所へ引っ越して行かれるという話になり
明日か明後日には、子どもさん達が最後の片付けと
おばちゃんを迎えに帰って来るそうだ。
ついに・・・
今まで、6、7人の仲良し隣組さんがいた姉。
9日からは、たった2人になってしまう。
朝夕、声を掛け合い、洗濯物を干したまま外出していたら
誰かが濡れない場所に移動し、夏の暑い日には
涼しい場所に集まって楽しい井戸端会議・・・
もう、こんな日は戻ってこない。
仲間の声が聞こえなくなり、姉ともう1人残されたTさん。
どんなにか寂しいだろうと思う。
親が年取って、体調でも悪くなったら・・・・
実際問題として、じじとばばも考えなくてはならない時期に来たと思っている。
じじとばばの両親は、じじとばばが島に居るので
何かあればすぐ駆けつけられるし、ばば両親の元へも仕事帰りなどは
立ち寄って話したり、一緒に食事をしたりもしていた。
じじとばばも「なるべく子どもには面倒をかけたくないね」と
常々話しているけれど、それは2人が元気であればの話。
2人とも自分で自分の身の周りのことも出来なくなったらどうしよう???
最近、とても不安になる。
だけど・・・簡単に結論は出せない。
ここ数年、ばばが上京すると、娘達が言う。
「お母さん、本当に、本当に、ずっと長生きしてよね」って。
長生きはしたい。
でも・・・
子ども達の手助けはしたい。
でも、仕事をしている子ども達を煩わせることはしたくない。
考える事が多くて、いつも中途半端で終わる。
・・・と言うより、現実逃避しているのかも知れない。
親が居た頃は「自分がこの世から居なくなる」なんて事は考える事は
あまり無かった。
親を見送った現在・・・じじとバカ話をして笑いながらも
ふと「自分の最期」の事を考える。
50代頃までは親のことを心配していたのに・・・・
でも、なるようにしかならないから
クヨクヨ考えるのは止めて、1日1日を感謝しつつ、
楽しく過ごさなくちゃね。
最近は「今日も何事も無くて良かったね。
平凡が1番!」という言葉が良く出る、じじとばばです。
※画像と記事は無関係です。