勿体ない事したかなぁ・・・
3月19日(月)曇り
あぁ〜勿体ない事したなぁ・・・
数日前から、言葉には出さないけど
自分で自分に腹を立てているばば。
と言うのは・・・
土曜日夕方、お店に入ったら、友人のKちゃんとバッタリ。
数ヶ月というか、もう1年位会ってないので、しばし雑談。
「毎日何してる?}という話から、kちゃんは「今、大正琴の練習からの帰り」
と言い、続けて「今ね、メンバーが4名位しかいないの。
だから、ばばちゃんも、是非来て。
そう、そう、どこそこのYさんもメンバーよ」と言われた。
「いや、いや、いや、いや、私が琴を弾くなんて無理、無理」と答えると
「先生はいないけど、みんなで、ああでも無い、こうでも無いと
ワイワイ楽しいのよ」って。
ばばは音楽の才能が無い上に、音感も悪いしと断っても
「とにかく、一回来てみて。絶対楽しいから」と言われた。
kちゃんと別れて、入り口の方へ歩いて行くと
そこで知人のYちゃんに会った。
さっき、Kちゃんが話したYちゃんだ。
普段から顔見知りで、会えば親しく話す間柄なので
又々立ち止まって雑談。
「Yちゃん、大正琴習っているの?」と聞くと
「えっ?何で知っているの?」と言うので
「つい今し方、Kちゃんと会ったのよ」と答えると
「気分転換にね。通っているの」って。
そして、又Yちゃんも「ばばちゃんも、連取に来てよ〜」と誘った。
「大正琴なんて、とても、とても・・・」と答えると
「大丈夫よ、出来るよ〜」と言うので
「マンドリンなら、ちょっと弾いた経験があるけどね」と言うと
Yちゃん、え〜〜〜っとビックリしていた。
ばばが、楽器でやりたいのは、マンドリン位かな?
学生の頃、2年間ほどクラブに入っていて
数回演奏会に出た位。
卒業して、仕事を始めると、職場でもマンドリンを弾く人はいなかった。
地域の青年団の方と一緒に、集落の行事で数回演奏はしたけれど
マンドリンを弾くのは、やはり、ばば1人だった。
その後、すぐじじと結婚して加計呂麻へ渡ったが、
マンドリンは持って行かなかった。
加計呂麻勤務を終えて、徳之島に戻っても
マンドリンを弾く機会はほぼなくて、倉庫に寝かせたまま。
音色が好きで、トレモロ奏法も大好きだった。
1人でも、暇な時に弾こうと思えば弾けたけど、
やはり外に音が漏れたりするのは嫌だったので
マンドリンの事は、いつしか忘れかけていた。
それでも、ある時、ふと思い出し取り出してみたら弦が切れていた。
楽器屋さんに買いに行ったが、生憎マンドリンの弦は無くて
又、倉庫にしまい込んだ。
今なら、アマゾンなどでポチッとしたら、すぐ買えるだろうけど、
当時は、パソコンなんて知りもしなかった時代。
時間だけがどんどん過ぎて「断捨離」と言う言葉が流行りだした頃
倉庫を片付けていたら、マンドリンに目が行った。
「徳之島でマンドリンを弾く仲間もいないし、
娘達も、マンドリンは弾かないだろう」と思い
心を決めて、ゴミとして捨ててしまった。
あれから・・・もう・・・30年位経ったかなぁ?
今思えば、なんて勿体ない!と悔やまれるけれど
仲間もいないし、1人で練習するのも・・・と思えば
「まっ、良いか」と思ったり、心は揺れ動く。
ばばが演奏会で弾いた曲は「丘を超えて」「ラ・クンパルシータ」
「ふるさと」「影を慕いて」「桜」「おはなはん」など、古い曲ばかり。
今なら、どんな曲を弾きたい?と自問自答したら
「世界に1つだけの花」「涙そうそう」「島唄」とかかなぁ・・・
でも、もう指使いにも自信は無い。
だけど、もう一回、マンドリンを触ってみたいなぁ・・・
友人との会話から、急に半世紀も前の事を思い出したばばでした!