ごめんなさい、他
3月12日(月)晴れ時々曇り
ありがたい事に、野菜をいただくのは日常茶飯事のばば。
過日も、春菊をドッサリいただいた。
量があまりに多くて、一部は下の方の葉っぱだけを千切って
残った分は茎毎湿らせた新聞紙で来るんで野菜室で保存。
一部は、葉っぱを全部摘んで、残った茎は一晩水に浸けておいて
翌日、花壇の彼方此方に挿して置いた。
あれから、もう2週間以上過ぎたと思うが
野菜室で保存した物は、まだ生き生き。
花壇に挿した分は、青々と元気な葉っぱを付けている。
以前も実験したと思うけど、春菊って挿し木できるんだね。
春菊は独特の苦みがあるけれど、卵焼きに入れたり
肉と一緒に炒めたり、味噌汁に入れたり、けっこう重宝している。
ビタミンAも摂れるだろうから、ありがたいなぁ。
そうそう、ばばは、自分の両親を
「母は厳しかった」「父は優しく神様みたいな人だった」と思っている。
子どもの頃は、母が厳しいのが嫌で反抗ばかりしていた。
口答えすると、叱られるので態度で・・・
例えば、母に叱られると、ドンドンっと足音荒く歩いたり
呼ばれても返事をしなかったり。。。。
態度で反抗するだけで無く、たまに、心の中では
「鬼婆〜」と叫んだりもして鬱憤を晴らしていた。
同級生のお母さんの中で、
明治生まれは母だけだったかも知れない。
生まれた時代のせいでも無いと思うけど、
「悪い事は絶対に許さない!」という一面があったと思う。
とにかく、中学生までは親の本当の気持ちを知らず
母には反抗していたばばだが、高校生位から
「母の言う事が正しいかも・・」と思えるようになり
大人になってからは、「鬼婆〜」と内心悪態づきながら聞いていた
母の言葉こそが正しかったと、思えるようになった。
とにかく、ばばに厳しい母だったが、つい10日ほど前、
ある方が、在りし日の母の事を話してくれた。
ばば達のちょっと上の年代まで、
同じ集落同士の結婚がけっこう多かった。
そんな時代に、ばばより10歳以上年配の、
ある男性先輩が遙か遠い地方の方と結婚して
奥さんを連れて帰ってきたらしい。
その時、お姑さんも、奥さんに厳しくて
周囲の方達も、なかなか打ち解けてもくれず
無視されるような事があったらしい。
そんな時に、唯一、母が「Aちゃん、Aちゃん」と言葉をかけ
可愛がってくれたらしい。
後日、その奥さんが、ばばの知人に
「○○おばちゃんに、本当に良くしてもらった。」と
感謝の言葉を言ってくれたんだって。
ばばは、全く初めて聞く話だった。
Aちゃんと呼ばれていた方も、亡くなって久しい。
そのA姉さんとは、ばばも大人になってから何回か話す機会があった。
親戚でもないけれど、ばばにとっても優しく接して下さった。
母とA姉さんの事など全然知らなかったけれど
あの、ばばに厳しかった母が、県外からいらした方に
親しく声をかけた事・・・とても嬉しかった。
母は、ばばが小学生の頃から
「自分より困っている人がいたら、出来る事は、してあげなさい。
そういう友達にこそ優しく、親切にしてあげるんだよ」
と何回も何回も、ばばに言った。
母の教えをそのまま100%実行する事は難しい世の中だけどね・・・
自分の身勝手で母を「鬼婆」と思っていた事を
心から謝りたいと思うけど、もう、母はいない。
今は、母の教えを「有り難い」と思う事で
少しでも罪滅ぼしをしたいと思う。