早朝、バッタリ・・・
10月4日(水)晴れ
我が家では、いつもじじが早起きして玄関や車庫の戸を開けてくれる。
昨日朝はジョギングには出かけなかったが、
いつものように車庫の戸を開けに行ったじじ。
ちょっと車庫前の道路に出た所で、かつての上司とバッタリ出会ってしまった。
その時のじじの格好が、よりにもよって上はランニング1枚、下も本当の部屋着。
あちゃ〜〜〜、やっちゃったね、じじ。
変な格好している時に限って、知り合いとかに会ってしまうよね〜
この、じじの上司、実はばばの恩師でもある。
当時中学生だったばばから見ても「超真面目」な先生だった。
その先生が数十年後には、じじの職場の上司・・。
ご縁って、分からないものですね。
この恩師、Y先生、今年、奥様がお亡くなりになった。
ばばは、たまたま旅行中でお悔やみにも行けず、
今年のお盆にお線香上げさせてもらってきた。
たまたま、昨日朝、戸を開けに行ったじじと、
早朝ウォーキング中だったY先生が、車庫前でバッタリ。
先生の方から色々話しかけて下さったそうで・・・・
朝食の時、じじが話してくれた。
「Y先生の奥さんは、晩年施設でお世話になっていて、
先生は毎日面会に通っていたそうだ。
その施設は先生が現在住んでおられるお家からは車では約30分の距離にある。
自分としては、出来る事を精一杯したつもりだが
妻が亡くなって初めて、もっとああしてあげれば良かった、
こうしてあげれば良かったと反省する事ばかりだよ。
だから、今のうちにばばちゃんを大事にし、出来る事はやってあげなさい」
と、先生は仰ったそうだ。
ご高齢の先生が、1日も欠かさず奥様のお見舞いに通われたというお話から
義母の事を思い出した。
義母が施設でお世話になり始めてから、
ずっと「ばばちゃん、私を父ちゃんの所に連れて行ってくれない?」と行っていた。
当時、義母は車椅子でしか移動も出来ず、
ばばの車で、義父の入院している病院へ行く事は出来なかった。
そして、義父は1日中眠り続けていて、食事は胃瘻をしてチューブからしか摂れなかった。
それでも、義母が義父に会いたがった。
ある時、車椅子も乗せる事が出来る車を貸し切って、
義母を病院へ連れて行った事がある。
目を閉じ、物も言わない夫のベッドの傍らで、義母は夫の手を握りしめ
「父ちゃ〜ん、父ちゃ〜ん、目を開けてごらん。
ほら、私を見てごらん、話をしてごらん。」と語り続けていた。
どのくらいの時間だっただろう?
義母は「父ちゃん、又来るからね〜」と言い、
何度もベッドの方を振り帰りながら、義母の病室を後にした。
その後も数回は義母を病院へ連れて行って、義父と面会させたが
そのうちに、義母も物忘れがひどくなり、
「父ちゃんの所に連れて行って」とさえ言わなくなった。
Y先生のお話と、義母の行動から
「夫婦の愛」について考えさせられた昨朝の出来事でした。
人間誰しも避けては通れない伴侶や家族、親しい人達との永遠の別れ。
考えたくないけど、考えなければならない年齢になってしまった、じじとばばも。
娘達も帰省する度に「お母さん長生きしてよね〜」と言う。
限られた時間だからこそ、夫婦も家族も姉妹兄弟も
お互いいたわり合って、仲良く過ごさなくちゃいけないよね。
と分かっちゃいるけど、何故か、じじにだけは「意地悪」をしたくなるばばなんですよ〜
※画像は、過日友人宅で撮った「日々草」です。