50年ぶりの恩師からの手紙・・・・
9月2日(土)曇り
午前中、室温が30度を超えなくて、青空も見えなかったせいか
昨日までと比べて、ちょっと涼しい気がする徳之島です。
8月中旬、学生時代の恩師から書籍が届いた。
書名が「近代工芸先駆者 豊田勝秋と その門人展」。
あれっ?と思った。
恩師は「教育学」が専門だったから。
添付されていたお手紙を読むと、豊田先生と恩師は同期で、
ばばが卒業した短大に赴任されたようだ。
豊田先生の講義を受講したことは一度も無いし、先生のことは全く分からなかった。
豊田先生とその門人の方々の展示会があって、その作品紹介などもあり
書籍の巻頭に、恩師も寄稿されていた。
学生時代は「努力に勝る天才無し」「鶏口となるも 牛後となるなかれ」と
小学校時代から。母にずっと言い聞かされていたばばは、
「ばばでも頑張れば、大好きな教職に就けるかな?」と思い
進学先を短大と決め、国語教師になる為、ひたすら頑張っていた。
始めて田舎から、鹿児島市へ行き「自分は田舎者だなぁ」と思う日々だった。
徳之島出身のJちゃんと2人、ある日「喫茶店なる所へ一度は行ってみよう」と
バスで繁華街の天文館へ行った。
しかし、見つけた喫茶店の前を行ったり来たり・・・・
ついには入店せず、そのまま又バスで寮へ帰ったという事もある。
そんなばばだったが、学校の講義の時だけは、いつも真剣だった。
絶対、国語教師の免許と、司書・司書教諭の免許を取って、
故郷徳之島へ帰るという強い思いがあったから。
そんなばばの入試2次試験での面接官が今回、本を送って下さったM先生だった。
当時、30代後半位だっただろうか?
合格後は、先生から教育学とか、いくつかの講義も受けた。
たった2年間だったけれど、何故か印象に残っている恩師のひとりでもあった。
卒業後も、ずっと年賀状は出していた。
M先生も山口県、神戸と転居され、未だに某大学の名誉教授として頑張っておられる。
その先生から、わざわざ数千人以上はいるであろう教え子の中の一人、ばばに
お手紙付きで書籍が送られてきたので、驚きつつも感動し、すぐに、お礼の手紙を出した。
短大を卒業してから、就職、結婚、子育て、退職、親の介護のことなど書いた。
すると、予想だにしていなかったことだけど、
今日、先生から直筆のお手紙が届いた。
お昼時間だったので、食事をしているじじに、ばばが手紙を読んで聞かせた。
読みながら、何故か胸がいっぱいになって、声が震えそうになった。
最後まで読み終わると、「ばばは幸せだね」とじじ。
卒業後、50年ぶりくらいに恩師から「労い&お褒めの言葉」をいただいたばば。
この感動をどう表現したら良いのだろう?
90歳近い恩師が、一筆一筆書いて下さったお言葉・・・・
自分の夢を実現し、しかし、心ならずも2年残して退職せざるを得なかったばばの心境に
寄り添って下さるお言葉も書かれていた。
又、ばばが児童文学作家の椋鳩十(久保田彦穂)先生の講義も受講し、
就職後、先生の作品を子ども達に読み聞かせしたことなど書いたら
M先生が「ある日の教授会で 椋先生が 人の真似をしたらいけない。
人のやらないことをする」と仰ったそうです。
この言葉は正に椋文学の規定を特徴付ける言葉だろう・・・とも書かれていた。
椋先生からは「児童文学について」等、受講したけれど
ご自分の作品の中の一説を取り入れたりして、先生は長い講義時間中
学生を飽きさせること無く引きつけていた。
ばばが一番好きな作品は「日高山伏物語」で、書籍も買って未だに持っている。
思いがけない、M先生からのお手紙を読みながら
感動しつつ、胸がいっぱいになったばばでした。