「牛の毛・・・と、牛の角・・・」

5月17日(水)小雨後曇り
朝食の時、じじがポツンと言った。
「親って本当にありがたいよね」と。
ばばも、自分が年をとればとるほど「親は偉大だったなぁ。」という思いと
いくら感謝してもしきれないほどの愛情をそそいでもらったなぁと
今更ながらに思う。

自分の両親のことを思い出せば、母はとにかく厳しく
父は生涯、子どもの前で荒い声を出す事が無かった。
不思議なもので、兄弟姉妹の中で一番勉強嫌いで怠け者だったばば。
母は学校の勉強も教えてくれたけど、とにかく諺とか昔からの言い伝えとか
教訓めいたことをよく話してくれ、ばばが悪い事をすれば、その都度厳しく叱った。
そんな母がイヤで反抗したいけど、口では文句を言うことが出来ず、
わざと室内で足音荒く歩いたりして、又、さらに母に叱られた。
「お母さんは怖い」「お母さんは嫌い」だと思った。
小学校3年生の時だったと思う。
当時は学習発表会では無く、学芸会という行事があり
それも学校で、同じ日に全校児童が発表をするのでは無く
集落ごとに「集会場」で発表会をしていた。
時間は昼だったか夕方だったか、記憶が定かではない。
内容は遊戯とか、劇とか、合唱合奏とか・・・
後日、何故?集落ごとに?と考えたた。

当時、保護者は、ほぼ9割以上が農業をしていた。
今のように機械化もされておらず、すべて人力で作業をしていた。
昼間は、少しでも農作業をしたいと思っていたのだろう。
だから作業が一段落する時間に、集落の集会場に集まって
我が子の学芸会を観ていたと思う。
保護者だけで無く、集落中の方が会場へ集まっていたと思う。

小学3年生の発表会で、女子は遊戯をすることになっていた。
題名は忘れたが
「♪坂道上ろう みんなで上ろう 
山の向こうの青い海で ピーピーピチクチク ピーピチクピー
鳴き鳴きみんなを呼んでいる♪」
という歌の遊戯だった。
何故、半世紀以上も前の歌を覚えているのか、自分でも不思議に思う。
毎日学校で遊戯の練習を続けた。
そんな学芸会が近づいたある日、
先生が「この遊戯を踊る時は、みんな黄色いセーターを着ましょうね」と言った。
「黄色いセーター?」・・・ばばは黄色いセーターを持っていなかった。
もちろん、2人の姉も。
母には「学芸会では踊る時、黄色いセーターを着るんだって」とだけ伝えた。
もちろん、黄色いセーターを買ってもらえるはずは無い。
兄弟は多いし、急にセーターを買うお金など無いのは、ばばも分かっていた。
それに、校区で洋服など買えるお店も無かったし、
遠く離れた中心地まで出かける自家用車もバスも無かった時代。

学校で毎日遊戯の練習をしながらも、黄色いセーターの事は忘れようとしていた。
同じ遊戯をする友達の中で数人は「黄色いセーターがある」と話していた。
「いいや。黄色いセーター着なくても、
一生懸命踊って、お母さんに褒めてもらおう」と決め、
とにかく踊りが一番上手に踊れるようにと、必死に練習した。

いよいよ発表会当日。
集落の小学生は全員、集会場に集まった。
自分の出番でない時は、観客席で家の人と一緒に、他の学年や友達の発表を観ていた。
いよいよ、ばば達の遊戯が近づいてきたので、
外へ出て楽屋の出入り口で待っていた。
着替えることもせず、普段の服装で・・・
もう少しで、ばばの出番という時に、母が急ぎ足で近づいてくるのが見え
「これ!」と、紙袋を渡し「着替えなさい」と言った。
袋の中を見ると、新品の黄色いセーターが!!!
「わぁ〜〜〜っ!!!」
ばばは、慌てて集会場の裏手に回り、セーターに着替え
付いてきた母に、今まで着ていた上着を渡し、走って楽屋へ戻った。

ばば達の番が来た。
幕が開いた!
曲が流れ始めた!
ばばは、今まで練習してきた通り思いっきり踊った。
「お父さん、お母さん、お姉さん、観て!!!私の踊り!」
新しいセーターを着て、無我夢中で踊った。
踊り終わって幕が閉まった。
静かに楽屋へ戻り、観客席の家族の所へ戻った。
両親も、姉2人も満面の笑顔で「良かったよ、上手だったよ」と言うように
首を何度も何度も上下に動かした。

「ありがとう!お父さん、お母さん、お姉さん達」と心から思った。
みんなが働いたお金で、買ってくれたんだね、黄色いセーター。
どういう風にして手に入れたのだろう?
中心地へ行く誰かに頼んで買って来てもらったのか
それとも、行商の人に頼んでおいて当日ギリギリに間に合わせて買うことが出来たのか?
卵一個を、お味噌汁に入れて、みんなで分けて食べていたあの時代、
セーターはどのくらいの値段だったのだろう?

ばばは、この黄色いセーターの事があってから
しばらくはお利口さんであったと・・・・思う。
家の手伝いもよくした。

でも・・本来怠け者で、口だけが強かったばば、
その後も、時々、母とは衝突した。

反抗もしたと思うけど、高校は願書締め切り直前、志望校を変え
両親が勧めてくれた高校へ行ったし
親が望んだ仕事に就けたし、じじと結婚してほとんど徳之島で生活し
1週間に1回は必ず両親に、会いに行けたし・・・・

あらためて思う。
今の平穏な生活があるのも、すべて両親や兄弟姉妹のおかげさまだなぁ・・・と。

もう、直接言葉を交わすことは出来ないけれど、
いつでも両親はばばの心の中にいる。
両親が教えてくれたことも、ばばの心の引き出しの中には沢山詰まっている。

「親は牛の毛の数ほど子どものことを思い、
子どもは牛の角の数ほど親のことを思う」

本当にこの諺は的を射ているなぁ・・と思う。

「お父さん、お母さん、本当にありがとう」

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