送り盆・ムスコ、他

8月15日(月)晴れ


早いもので、今日は、もう送り盆。
両親が元気だった頃の、送り盆は、ご馳走を沢山作って
お墓へ行き、お墓の前でお重を広げ
朝から頑張って作った料理や、お団子を
みんなでいただきながらしばし時間を過ごしたものだが
じじとばばだけになってからは、特別ご馳走も作らない。
お盆と言っても、ごく普段の生活だ。
ばばは、じじ家のお墓と、実家のお墓2カ所へ
ご先祖様を送って行かなくてはならないので
お昼3時少し過ぎには、お盆の間使ったメドハギで作ったお箸と
お線香と、お酒だけ持って家を出た。
まず、じじ家のお墓へ行き、湯飲みや杯の水とお酒を替え
それから実家へ向かった。

今住んでいる地区のお墓には、
そろそろご先祖様送りの人たちが集まり始めていた。
日差しよけのテント?を張っている人たちもいた。
陽が傾くにつれ、次々と地区の方々がお墓へ集まる。
今日は、お墓の横の県道は、両側駐車で
普通の用事で通る人たちでなかなかスムーズの動けない。
ここ数年間、ばばは3時過ぎには家を出て
早めにじじ家のお墓に参り、すぐ実家の集落へ移動し
お参りを済ませた後、帰る時は
お墓横の県道は通らずに、わざと別のルートで帰ることにしている。

実家のお墓には4時過ぎには着いたので
同じように「お盆箸」を供え、水とお酒を替えて
箒目を立てて、お線香を上げて、すぐ帰路にき
別ルートでスムーズに帰宅した。

あと5分ほどで7時だが、今頃お墓では
提灯に灯りを点して、その中で親族一同が
親睦を深めている所も多いと思う。

お盆の送りと言っても、地区や集落によってもそれぞれ違うようだ。
今日、実家のお墓へ行った帰り、ある集落では
女の方が小さなお盆に2本の徳利を載せて
辻のところでご先祖様を送っていたし、
それからしばらく走ったところのお墓では
10数名の人たちがお墓の前に立ち、一番前にいる人が
何か冊子のようなものを広げて、周囲の人たちも一緒に
何かを唱えているようだった。

ばばの知人の暮らす集落では、
門のところで、火を炊いて?ご先祖様を送るって話していた。

やり方は違うけれど、今でも「お盆」の行事は
島内どこでも行われているようだ。

自分のご先祖様を大切にするって
大事なことだから、お盆に家族、親族一同でお墓の前に集まり
改めて先祖様の思い出を話したり、聞いたりすることは大事だと
ばばは思う。

別に特別なことをしたわけでは無いけれど
「お盆」というと、やはり普段と変わって緊張する。
今年も、無事、お盆が終わってホッとした。

今夜のうちに、引っ張り出した提灯や衝立屏風など
お盆関係の用具などを片付け、仏壇から出した物なども
元の位置に返さなくちゃ。
それまで終わると、本当の「お盆終了」。

明日からは、又、別の「忙しさ」に突入。
でも、嬉しい「忙しい」なので、ワクワクしている。
詳しくは、又、明日書くね〜。

※画像は、島のお盆には欠かせないお供え用のお菓子です。
ばばの実家集落辺りでは「ムシコ」とか「ムスコ」とか言っていた。
ばばが子供の頃は「型菓子」と言って
はったい粉(麦を炒って粉末にした物)に黒糖粉と水を加え、
木の型に詰め込んでギュッと押し固め
ひっくり返して、花の形にしたのが主流で
今のようにカラフルな「ムシコ菓子」は無かった・・と記憶している。

今でも、お盆の時期で無くても、スーパーへ行けば
昔ながらの「型菓子」が時々手に入る。
今のように種々雑多なお菓子が無かった時代、
自家製の「型菓子」は一番美味しいおやつだったけど
今の子供達は、あまり食べないだろうな・・・
「型菓子」を作る「木製の型」もほとんどの家にはあり、
ばばの実家にもあったけど、十数年前、整理した時に捨ててしまった。
今思えば、もったいないことをしたなぁ・・と悔やまれる。

ばばは、よっぽどで無いと「ムシコ」を食べないので
今年、お供えした「ムシコ」は、明日から、じじのおやつにしま〜す。

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