「ジマムィ」の思い出
8月8日(月)小雨
昨日予定されていた、「どんどん祭り」の花火大会は
天候不順で今日に延期されたが、今日も又、昨日と同じように
天気は悪い・・・朝から小雨。
洗濯物も一旦は外に干したが、室内に取り入れた。
その直後から、しとしと雨が降りだした。
今年の、島の8月の天気、??と思っているのは、ばばだけかなぁ?
ところで、今日は「ジ・マ・メ」の事を。
「ジ・マ・メとは?「マメなじじ」って事じゃ無いよ。
「地豆」とも言うけど、島の方言では「ジマムィ」と言うよ。
一般的には、「落花生」と言うのかな?
それとも、ピーナツかな?
昨日のブログにも書いたように、
昨夕、同級生のSちゃんから堀立の地豆をもらった。
どのように食べようかな?と考えたが
やはり、殻付きのまま塩ゆでが一番かな・・・と思っている。
さて、この地豆、ばばが子供の頃は
ばばの家や友達の家でも作っていた。
地豆堀り、マメを外す、洗って干す・・・全て家族でしていた。
ばばの家で作っていたのは、丈が長い地豆で
この豆の収穫は、三つ叉で掘り起こしていた。
何年か経つうちに、丈の短い品種が栽培されるようになり
この豆は「カガイ豆」と呼ばれ、三つ叉で掘る必要は無く
茎を両手でしっかり握って、引っ張って抜いていた。
三つ叉で掘るよりは、ずっと楽だった。
豆は、茎の長い方が大きくて、「カガイ豆」の方は小粒だった。
普通、自分たちで収穫したり、洗ったり干したりしていたが
沢山作っている農家では、干した豆の殻を剥くのを
子供達に頼むことがあった。
もちろん、タダでは無く、お金がもらえた。
今で言うなら、「地豆の殻剥きアルバイト」かな?
どこから情報が入っていたかは覚えていないが
ばばも、よく、友達と一緒に、このアルバイトをした。
大きな筵の中央に盛り上げられた地豆の殻を
友達とお喋りをしながら、1個1個手で剥いていく。
生豆の時は、そうでもないが、カラッカラに乾燥した豆の殻は
相当に堅かった。
一升枡の山盛り剥いて、10円か,20円くらいお金をもらえただろうか?
当時、「50銭飴」と言って、1円で2個買える飴玉があったから
10円、20円でも、いいお小遣いだったのかなぁ・・・
簡単に「一升升山盛り」と言っても、殻付きの豆を
何百個と剥かなければならなかった。
剥く時は、右手の親指、人さし指、中指を主に使い、
左手をちょっと添えていた。
剥いて、剥いて、剥き続けているうちに
よく使う右手の親指の腹側には、マメが出来た。
そのマメを庇いつつ、必死で剥き続けた。
マメがどんどん大きくなって、熱を持ってポッポポッポした。
1日で、どのくらい剥いたかは記憶に無いけれど
マメが出来た次の日、あまりに痛くて殻が剥けなくなることがあった。
そんな時、誰が考えたのか、秘策があった。
それは、青竹を短く切って、それを半分から折り曲げて
その折り曲げた青竹の間に地豆を挟んで皮を剥くというものだった。
この方法なら、指にマメが出来ることも無かったが
欠点は、力を入れすぎると豆を割ってしまう事があり
力加減が大切だった。
夏休みなどは、朝から夕方まで、必死に地豆の殻を剥いていた。
自分の家で地豆の殻を剥いたって、お金なんかもらえなかったから
よそのお家で、友達と一緒に殻を剥くことは
お金はもらえるし、友達とお喋りは出来るし、楽しかったなぁ。
自分の家で、地豆を作っていた時は、普通に食べていたけど
最近は徳之島産の地豆なんか、小さなビニル袋いっぱい入って
殻付きのままで、800円くらいはする。
それだけ、貴重になってきているんだね。
ばばも時々、スーパー等でピーナツを買ってきて
「味噌豆」や「塩豆」を作るが、生産地は、ほぼ中国だ。
過日、ある先輩が自分で地豆を作っているというので
「種はどうしているんですか?」と聞くと、
「スーパーで中国産の豆を買ってきて植えているよ」と言う答えだった。
先輩の家では中国2世の地豆を食べているって事なのかなぁ・・
スーパーで売っている豆を植えて育てるって考えたことも無かった。
昨夕、Sちゃんから貰った自家産の地豆。
貴重だね。
今年も、大事にいただきます。
Sちゃん、ありがとう〜
※画像で地豆の前に写っているのは、お盆の時、ご先祖様用の箸にする「メドハギ」の茎です。
メドハギって、こんな植物だよ。