今、あらためて思う・・・・

5月17日(火)雨のち一時曇り

昨日入梅した徳之島、予報通り夕べから、朝方まで雨でした。
今日は大事な日なのに、ダラダラしていたらメールが!
じじの従姉妹さんのMちゃんから。
数日前はMちゃんのお姉さんから電話をもらっていたんだけど
今朝はMちゃんから7時にメールが。
メールには、じじ母の1年忌に対する温かい言葉が並んでいた。
そして、じじとばばにも「ご自愛なさってお元気でお過ごし下さい」と。
すぐにお礼のメールをしてから、始動。

じじは朝食前に仏壇の前で手を合わせていた。
ばばも仏壇の湯飲みや杯の中身を入れ替えて手を合わせた。
朝食を済ませると、小雨がぱらついていたけどお墓へ。
今日は1日とか15日とかでもないし、天気も悪いので
お墓には誰もいなかった。
傘を差しながら、お墓の湯飲みや杯を綺麗しに
家から持って行ったイヌマキの枝を花瓶に挿し、墓前に手を合わせた。

母の命日が近づくにつれ、じじとの会話も両親の話題のことが多かった。
「あぁ〜去年の、今の時間は、まだ母はこの世に存在していたんだよなぁ・・」
と思いながら、1年前のことが色々思い出された。
入院していた母が集中治療室に入ったので、じじ妹夫婦も帰省し
母を見舞いがてら、様子を見ることにしていた。
夜の付き添いは、じじ妹とばばが交代でしていた。
最後の晩は、ばばが付き添いをする番で病院へ行っていたんだけど
母の体に付けられた機器の数値が激しく上下するようになり
慌てて家に電話をし、じじと妹夫婦、ばば姉も病院へ駆けつけた。
5名で見守りながら、機器の数値の動きに一喜一憂していたが
頑張ってくれていた母は、静かに息を引き取った。
穏やかな母の顔を見ながら
「お母さん、よく頑張ったね」と心から思った。
数週間前の入院から徐々に状態が悪化し、体には幾つもの管や
点滴が付けられ、母を楽にしようと看護師さん達が痰を吸引してくれるのだが
本当に苦しそうで、最後の力を振り絞ったような様子で顔を背けていた母。
その様子を、何週間も、ずっと見ていたので
穏やかな母の顔を見た時は、思わず「頑張ったね」と声に出てしまった。

いつもニコニコ優しかった母。
自分のことより家族のことや周囲のことを優先していた母。
最後の最後まで、話せる間は家族や病院関係者に
「ありがとう」と声をかけてくれた。

じじとばばが結婚して約40年、
一度として、ばばに声を荒げたりする事もなかった、じじ両親。
じじと同じように働くばばをいつでも庇ってくれた。、
我が家の3姉妹を、働くじじとばばに代わって育ててくれて
美味しい物をいただいたりした時は、必ずばば達にも分けてくれた。

じじ両親がいたからこそ、今の平穏な、じじとばばの生活がある。。。。
といつでも思っている。
特に両親が亡くなってから、食事の時などに
両親のありがたさについて話題になる。
両親が健在だった時は、口に出して充分な感謝の気持を伝えることが出来なかった。
一度だけ・・・ばばが退職した時、両親宛に手紙を書いた。
結婚以来、感謝し続けて来た事を。
言葉では言えなくても、文章には出来るのでは?と思ったが
書いている途中から、何故か涙が出て便せんを濡らし何度も書き直した。

数日掛けて書き終えた感謝の手紙を両親宅へ行き、直接手渡した。
それから数時間後、両親が、ばば宅へ来て
「ばばちゃんの気持ちがありがたい。本当にありがとう」と言ってくれ
両親、ばば共々、しばらく言葉が出なかった。

あれから、もう10年近い歳月が経ってしまった。

両親がいなくなった今でも、、たまに「ばばちゃ〜ん」と
呼ぶ優しかった両親の声が聞こえるような気がする。

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