何故書いたんだろう?
4月24日(金)曇
今回、3回に分けて「強運の3人」という題でブログを書いた。
書き始める前の日まで、全く「強運」とかいう題で
ブログを書くとは考えてもいなかった。
たまたまHちゃん夫婦が帰省し、我が家へ寄ってくれ
テーブルを囲んで座って話すうちに、
何故か、「この4人のうち、3名は一度生死の淵を彷徨ったんだ」
という思いが、ふとわき上がり、書き始めてしまった。
じじとばばの体験は、過去に何回か書いていたが
Hちゃんのご主人Sさんも又、じじとばばと似たような体験をし
奥さんであるHちゃんも、じじが手術した頃のばばと同じ思いを
体験している・・・と思った時、
何故か不思議な気がして、書き始めた。
人間誰しも、色々な事があり、日々生きている。
誰もが幸せな日々だけでは無い。
絶望の淵に立たされる事だって、何回かある。
そこから立ち上がる時、何故か今まで考えなかったことを
考える人も多いと思う。
Sさんが、奄美市の病院に、自衛隊のヘリコプターで緊急搬送され
手術を受け、元気に退院出来る事になった日
先生が「これからはおまけの人生だと思って、
日々楽しく暮らしなさい」と言われたそうだ。
その時の「命の恩人の先生」と
Sさんは今回の帰省中に、偶然会えた。
その先生は、徳之島の病院常勤では無く、
月にに1度位の割合で、徳之島の病院へ来てくれているらしい。
その先生と、4年ぶりに帰省し、明日は帰るという日に再会出来るなんて・・・・
本当に、不思議!だね。
Sさんは60代で、じじは50代で、ばばは20代で
大きな試練があった。
でも、3人とも今は元気で日々暮らせている。
ばばが退院した時も、誰かが言った。
「あなたは、まだしなければならないことがあるから
生かされたんだよ」と。
退院してから・・・・1年半後に徳之島へ転勤でき、
5年後に三女が誕生し、
大好きな仕事を思い残すこと無く続けることができ、
実家の両親にも少しは親孝行でき、
じじの両親の介護もすることができている。
そして、20代の頃までは考えもしなかったパソコンを
使えるようにもなった。
これが、ばばの20代では
出来なかった事だったのかなぁ。
ばばはね、大きな試練を受けたことで
周囲の方々への感謝の気持ちをそれまで以上に強く持てたし
自分が出来る事は、何かしてあげようと思うようになった。
時として、じじからは「又、ばばのお節介が始まった」と
言われてしまうけどね。
その「お節介」の恩恵を一番受け、
喜んでいるのは誰でしょうかねぇ〜。
今後、ばばがやらなければならないこと・・・
あまりに多すぎて、「長寿全島一」にでもならない限り
完了できそうにありません!
じじも、手伝ってくれぇ〜〜