「強運の3人」、その2

4月22日(水)晴れ
2日前の大雨は、何だったんだろう?と思うほどの晴天の徳之島だよ〜。
じじが、電話でテレビ局の取材を受けて
画像を提供した後、県外やばばの姉妹も周辺から
色々声をかけられ、「○○テレビの現地駐在員ですか?」
とか聞かれて、ビックリしたって。
今回のことで、思った事がある。
普通、テレビ画面の下の隅っこに出る小さな文字なんて
ばばは詳しく見たことも無かった。
ここ2年近くはテレビとは、ほぼ無縁の生活。
今回、わざわざ島外から、直接電話を下さったり
ばばの姉妹や娘達に電話をくれたり
声がけをしてくれた方達は、テレビの隅っこの文字を見て
「もしや?じじ?」と思ったみたい。
ばばも、これから又テレビを観る事があれば
番組によっては、隅っこの小さな文字も
気をつけて見ようと思ったよ〜。

さて、前置きが長くなってしまったが
延び延びになっていた、「強運の3人」の続き。
1人目は 、Hちゃんのご主人Sさんのことを書いたが
2人目は、我が家のじじ。
何回かブログにも書いていることだが・・・・
もう、10年も前前、何の違和感も無く受けた人間ドックで
胃に異常が見つかり・・・・
それまでも毎年鹿児島でドックを受けていたのに、
前年までも何の異常も告げられず、まさか?という
気持ちで検診結果を見た。
それからは、怒濤の数日間。
隣の奄美市の病院で再検査。
「ここではどうしようもありません。
都会の大きな病院へ行って下さい」と言われ、さらに落ち込む。
都会と言ったって・・・・・・
でも、偶然、その時、我が家の長女が
生まれて数ヶ月の孫を連れ帰省中だった。
長女が、学生時代の友人に連絡を取ったりして
入院する病院を決め、あれよあれよという間に、じじは東京へ。
そして、約2週間後に手術。
ばばは当時、勤めていたし、じじの症状も「胃潰瘍」くらいに聞いていたので
手術の日も上京する予定もしていなかった。
しかし、職場の上司が「ご主人の大事な時に、
何故、奥さんのあなたが傍に付いていないの?
あなたの仕事は、私が責任もって引き受けるから、行っていらっしゃい!」
と、背中を押して下さり、急遽ばばは上京。
上京後、数日してじじは手術。
しかし、1時間位で終わると思った手術は5,6時間かかり
手術室の外廊下で待つばばと、次女と3女はどんどん不安が脹らんで
限界!となった頃、じじがたくさんの管を付けた姿で、
ストレッチャーに乗せられ手術室から出て来て
その後、切除した、じじの胃を執刀医がばば達に見せてくれた。
初めて見る、赤黒い、人間の胃。
開腹してみて、症状の酷さが判明し、胃を全摘したと説明があった。
あと1枚、薄い粘膜が破れていたら、
がん細胞が体中に拡散していただろうとも聞いて
ショックで、手術は終わったけれど、
この後どうなるのか目の前が真っ暗になった。
じじは、しばらく入院し、退院後は、数ヶ月、長女の家に居候。
孫を乳母車に乗せて一緒に散歩したりすることで気を紛らわし
リハビリの日々を過ごした。

後でじじから聞いた話では、じじの症状はA・B・CのCのステージで
Cステージでも、大分進んでいて危ういところだったそうだ。
手術後、担当医から「3年生存率は30数%」と告知されていたじじ。
どんな気持ちで、毎日過ごしていたんだろう?

毎年欠かさず通っていた病院の担当医が
たまたま代わっていて、じじの異変に気づいてくれ
奄美市の病院の先生が「都会の病院へ」と勧めてくれ
たまたま長女が帰省していて、医学関係の友人がいたこと
立派な先生に執刀していただいたこと、
子ども達が3名とも近くに居たこと、
ばばの上司が思いやりのある方で、
ばばもじじの傍らに付き添えたこと、、
色々な幸運が重なって、じじの手術は成功し
10年が経過した。

まだ100%安心とは言えないけれど
じじは、日々元気に暮らせている。

Hちゃんのご主人、Sさんが元気に退院した時
担当医師から「これからは、おまけの人生だと思って
ゆっくり、好きなことでもして楽しみなさい」と言ってくれたそうだ。
我が家のじじも、今は「好きなことだけ」をして、
日々過ごしている。
「人間の命」について改めて考えさせられると同時に
Sさんと、じじ、「強運」だったなぁと感謝している。

さて、「強運の3人」と言うからには、
あとひとり、強運の持ち主がいたということだね。
それは、だれでしょう?
明日まで、引っ張ることになったよ〜

 

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