寂しい、悲しい・・・
12月4日(水)晴れ
ばばの行くスーパーは、ほぼ決まっている。
ばばがこのスーパーへ行くようになったのは、
店員さんの接客態度がとても良いこと。
「いらっしゃいませ〜」と気持ち良く声をかけてくれるし
エコバッグを出せば「ありがとうございます」と言ってくれる。
当たり前のことかも知れないけれど、不快な思いをするお店も多々あるから・・・
特にばばが気になって不快に思っていたのは
お釣りを渡す時、大袈裟に言えば、
お金を投げるように?乱暴に渡されることがあまりに多くて。。。。
それに、店員さんの目は何処か他の方を見ている。
口では「ありがとうございました」と言っているけど
態度を見ると、本当に紋切り型で密かに腹が立っていた。
だから、ばばは、なるべくそのお店には行かなくなった。
品物によって、多少の価格差はあっても
気持ち良く買い物をしたいから。
店員さんの態度以外の条件では、
品物の値段が分かりやすく大きく書かれていること。
ある品物を買う時にばばが先ず見るのは値段。
それから賞味(消費)期限。
賞味期限などは、品物の製造会社で印刷されている?
と思うけど、メガネを出してでも確かめて買うようにしている。
一方、品物の値段は?
精肉コーナーではどの品もパックされていて
値段がはっきり分かるように値札が貼ってある。
しかいs、他の商品はどうだろう?
ひとつひとつには書かれていないものが多い。
例えば、袋入りのお菓子や乾物類、麺類なども
個別に値段は書かれていなくて、
買う時に「どれくらいかしら?」と思う事がよくある。
(もっと、分かりやすく値段表示できない物かしら?)と
ずうっと思っていたけど、あるスーパーは
値段が大きめに表示されていて、とても分かりやすい。
だから、ばばはそのスーパーで、ほとんどの買い物をするようになった。
これからも、通い続けると思う。
感じの良くて、買い物のしやすいお店が増えると良いなぁ〜
ばばが現在住んでいるな所は、徳之島町の中心地で
買い物はとても便利である。
いくつかあるスーパーへも歩いて行ける。
しかし、「買い物難民」と言われる人たちが増えている現実も否めないと思う。
ばばが、未だに実家暮らしだったら・・・・
住まいの近くの店で、欲しい物が全て買えるか?と言えば、ノー!
すぐ下にある集落まで下りればスーパーはあるけれど
衣料品などは無い。
衣料品・日用雑貨・寝具・家具等買おうと思えば
どうしても中心地へ出なくてはいけない。
運転が出来たり、バスに乗って出かけられる人はまだ良い。
ところが、ばばの実家集落からバス停までも
急な坂道を下りなければならない。
買い物帰りには重い荷物を持って急な坂を上らなければならない。
80才を過ぎれば、バス停の往復でも大変だと思う。
ましてや、中心地へ出て日曜雑貨等買っても
家まで持ち帰るのが又大変。
買い物で苦労している人は、予想以上に多いのでは無いかと思う。
だから、最近はスーパーでも宅配さんと連携して
お客さんが買った品物を配達するサービスを行っているお店もある。
ばばは、自分が全然不便を感じないので
普段は実家集落の方々の不便さに思い至ることも少なかったけれど
先月末、実家に帰った時に、集落のゲートボール場を見て愕然とした。
何年前くらいまで、ゲートボール場はあっただろうか?
今は、ゲートボール場のあった場所は畑になり
サトウキビが植えられていた。
「何故?}と一瞬考えた。
でも、理由はすぐに分かった。
それは、ゲートボールを楽しむ方がいなくなったと言うこと。
ばばの実家周辺でも、先輩が次々亡くなった。
数十年前までは、ゲートボールを楽しんだ方々も
年を重ね、今は運動したくても出来ない人が増えたのだろう。。。。
実際に、集落の方々の顔を思い浮かべても
ゲートボールなどを楽しめそうな方はほとんどいないことに気づいて
再び愕然!悲しいなぁ・・・寂しいなぁ・・・・
実家へ行く度に感じる寂しさは何だろう?
昼間歩いても、誰とも会わない。
集落の方々は、一体何処で何をしているのだろう?
少子化。
過疎化。
集落がどんどん寂れていく。
何も出来ない自分が歯がゆい。