赤とんぼの歌
9月22日(日)晴れ
三木露風さんの作った「赤とんぼ」という歌があるよね。
その1番の歌詞
「夕焼け小焼けの赤とんぼ
おわれて見たのは いつの日か」
の「おわれて」っていう意味がはっきり分からないまま歌っていた。
夕べ、たまたま夕食中にラジオからこの歌が流れていて
あらためて考えてみた。
そして「お母さんに背負われていた時、赤とんぼを見たんだな」と
ばばは解釈した。
じじは、自分が小さい頃、
自分がトンボなど追いかけていたのを思い出し
即、自分の思い出と結びつけ
「子供達の追われたのはいつの日だった?」と
トンボ目線?トンボになりきった解釈をしていた。
そして、「15で、ねえやは嫁に行き お里の便りも絶え果てた」
という歌詞について、ばばは「なぜ?ねえやが出て来る?
自分のお姉さんなら、ねえやとは言わないのでは?」と言うと
じじが「ねえやって、お手伝いさんの事だと思う」と言う。
あっ、そうかぁ〜
この「赤とんぼ」という歌は三木露風さんが
自分の体験を歌ったとも聞いたことがあるが、
ゆっくり考えてみれば分かるような気がする。
(お手伝いの)ねえやに背負われて
夕焼けの中を飛ぶ赤とんぼを見たのは いつの日だったろう・・・・
子守をしてくれた ねえやは、15才でお嫁に行き
今では、もう手紙も来ない・・・・・と解釈すれば良いのかな?
考えてみれば、何気なく歌っている歌の歌詞を
じっくり考えて見ると、新しい情景や心情が伝わることがあるね。
じじのおかげで、「赤とんぼ」の歌に出て来る情景が浮かび
「ねえや」と「僕(私)」の関係も分かったよ。。。。
と、ここまで書いてきたが「もしや?間違っているのでは?」
と、ネットで調べてみたら、次のようなことが書かれていた。
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「赤とんぼ」の詩の
「夕焼小焼の 赤とんぼ 負われて見たのは いつの日か
山の畑の 桑の実を 小かごに摘んだは まぼろしか」
この情景は、見晴らす限りの播磨平野に無数の赤とんぼが飛ぶ夕暮れ。
赤く染まった空の下を今日も帰らない夫節次郎を待ちわびつつ、
わが子を背に家路をたどる母のわびしい姿。
そんな露風のさびしい幼年時代を歌った詞だ。
母とともに山の畑に行ったまぼろしのような思い出
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三木露風さんのご両親は、露風さんが7歳の時、
お父さんの素行が原因で離婚しお母さんは実家に戻ったそうだ。
その後露風さんはお父さんとは暮らさず
祖父母と暮らしたって。
と言うことで、ばばの思っていたこととは少し違っていたようだ。
やはり、露風さんがねえやではなく、
お母さんに背負われていたんだね。
ばばは、歌を歌ったり聴いたいすると、
その情景が浮かんでくる事が多いが
これまでも間違った解釈で原作とは違う情景を
思い浮かべていたことが多かったかも知れない。
歌を聴いた人が、色々自由に情景を思い浮かべ
想像を巡らすのもよいと思うけど、
でも、作者の意図が分かってあらためて歌を聴くのも良いなあと思う。
ばばの一番好きな歌、「ふるさと」。
兎を追いかけたこともないし、フナを釣ったこともないけれど
でも、この歌を聴くと自分の幼かった日の情景や
家族のことなどが思い出され、胸揺さぶられる思いがする。
ましてや、ひとりぽっちでいる時とか、静まりかえった夜中などに
この歌を心の中で歌うだけで、涙が出そうになる事があるよ。
故郷のこと、両親のこと、過ぎ去りし日のことを思い出して
涙ぐむなんて、やはり年のせいなのかなぁ・・・