給料14万円他

6月16日(日)曇時々小雨
過日引っ張り出したタンスを整理していたら
昭和53年の、じじとばばの給料袋が1枚ずつ出て来た。
じじが15万円ちょっとで、ばばが14万ちょっとだった。
勤め始めて約10年目の給料が14万くらいだったんだ〜
色々差し引かれたら、手取りどの位だったのだろう?

結婚して2年目くらいで家を建てたのでそのローンを払ったり
娘達を世話してくれる両親に心ばかりだけど養育費?を預けたり
どの位の金額で生活していたのかなぁ???

我が家では結婚以来、給料はそれぞれで管理している。
ばばの給料から生活費を出し、大きな出費はじじが出す・・・・
というパターンだったような気がする。
退職した今も、このパターンは変わらない。

不思議なのは、たまぁにじじが撮影がてら自分で刺身を買ってきてくれるが
その時は、必ずじじの財布から刺身代を出すの。
ばばが行く時は、勿論ばばが出すけどね。
私腹を肥やすために、じじが頻繁に刺身買いコースに
出かけるように仕向けなくちゃ。ウッヒッヒ〜

よその家ではどのように家計管理しているんだろう?
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年と共に身の回りを身軽にしておきたいと思うが
どうしても捨てられない物がある。
ばばが捨てられない物。
20年ほど前に教え子から貰ったキーホルダー。
同じ頃、別の子から貰ったティッシュ入れ兼小銭入れ。
ふたりとも夏休みに家族旅行に行ったお土産で
わざわざ買ってきてくれたの。
あと1つは、ばばが単身赴任で加計呂麻に行った時
担任した1年生の女の子ふたりが、海岸で拾ってきた
つるつるの丸い石に女の子の顔を描き、
横に自分たちの名前を書いてプレゼントしてくれた物。
もしかしたら、女の子の顔とばばが思っているのは
ばばの顔を書いたのかも知れない・・・と思ったりする。
奇しくも、1年生の時加計呂麻で出会ったこの女の子ふたりは
徳之島で高校生活を送った。
島に来ている3年間、私的にゆっくり話すことも出来なかったけれど
今は都会で暮らしているMちゃんと、Yちゃん。
土曜日の夜9時から「島の先生」というドラマを見ると
Mちゃんや、Yちゃんと暮らした加計呂麻時代を思い出す。

教師にとって教え子って、宝物だね。

たくさんの宝物と出会えた自分の半生を幸せだなぁ・・・と思う。
子供達やその保護者の皆さんから、沢山のことを学ばせていただいた。
感謝、感謝!
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久しぶりの小雨。
玄関先の植物たちも今日は嬉しいね。
灼熱地獄から解放されているから。
晴れた日の玄関先の灼熱ぶりは半端ない。
だから、玄関先には葦簀を立てかけたり、
ベランダには遮光ネットを張ったりしているけど
どれだけ効果があるか・・・・疑問。
やらないよりは、やった方が効果がありそうだもんね。
もう少しまとまった雨が欲しいなぁ。。。。。
雨、雨、降れ、触れ・・・・

 

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ばば
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