娘達へ

12月21日(金)曇
12月は我が家にとっては特別な月。。。。
長女と次女が、12月生まれ。
長女が15日で、次女が21日。

ばばが仕事をしていた頃、12月15日はボーナスの日。
21日は給料日。
娘達の誕生日と重なって嬉しい日だったな。

今日は、次女の誕生日と言うことで
食事をしながら、じじとふたりして
娘達が生まれた日のことなど話したよ。

長女が生まれた時は、ばばは里帰り出産。
・・・と言っても、ばばの母は高齢だったので
病院へも近いじじの実家へ加計呂麻から里帰り。
義父母に甘えっぱなしで、出産の日を迎えた。
出産当日、義母が「温かいうどんを食べて行ったら
元気が出るよ」と、病院へ向かう直前に
美味しいうどんを作ってくれ、義父が車ででばばを病院へ送ってくれた。
歩いても5分では行ける距離だったけど、甘えたよ。

夜、陣痛が始まり気が遠くなりそうな痛みの中で
長女はこの世へ出てきたが、顔色は真っ青で
産声も上げず・・・・・・これは後日両親から聞いた話で
当日の出産後の記憶はほとんど無い。
長女が生まれた晩、義父は加計呂麻でひとり
ヤキモキと気をもんでいたじじに電話した。
その内容が、「この子は諦めた方が良いよ。
ヤセゴロビッキャ(痩せガエル)みたいで泣きもしないよ」と・・・・・
じじは、ビックリしただろうね〜。
初めての子供が「骨ガリガリの痩せっぽで泣きもしない」
と聞かされたんだもの。
翌日の船でじじは帰ってきて、病院へすっ飛んできた。
そして、あまりに気が高ぶっていて、病院へ来る途中
車に積んだ魔法瓶のお湯を零してしまったって言っていた。
病院へ着くや、長女と面会。
生後数十時間の娘に、あろう事か、ミカンの房を口に含ませたって。
だから、長女がミカン好きなのは、あの時のミカンの味が
忘れられなかったからでは・・・とさ。
家族中がハラハラドキドキの中で誕生した長女。
その後はスクスク育ってくれた。

次女さん・・・・・
さすが、臆病ばばも2回目のお産は少しだけ強くなっていたよ。
お産までの時間も長女の時より短くて・・・・
生まれた時、丸々太っていて、産後すぐ産声も上げて
ばばも娘の泣き声は確認できた。
しばらく経って、娘の顔を見てビックリ。
顔が真っ赤っか。
ばばは、顔全体赤いアザが出来ていると思い大泣きした。
そしたら母が、「何も心配いらないよ。赤ちゃんは生まれてくる時
通り道が小さくて、無理矢理通り抜けて来たから、
ただ顔が赤いだけだよ」って言ってくれた。
翌日、本当に綺麗な肌になっていてホッとしたばば。

生まれて、5,6日目だったか?
じじも今度は余裕を持って加計呂麻から対面に帰って来てくれた。
さすが、次女にはミカンを食べさせはしなかった。

長女の誕生をじじに「ヤセゴロビッキャみたいだから・・・」と電話した義父も
今は入院したままの病院暮らし。

「温かいうどんで元気を付けて」とばばを気遣ってくれた義母も介護施設暮らし。

赤ら顔の次女を見て泣くばばを、励まし安心させてくれた母は
もう、この世にいない。

孫の誕生をただニコニコと見守り、
「まるで生き神様のようだね」と最高級の褒め言葉をくれ
精一杯の愛情表現をしてくれた父も、もういない。

自分の孫のように我が家の娘達を可愛がり、世話して下さった
娘達も大好きだった、メトおばちゃんも、もういない。

たくさん、たくさんの愛情に包まれ誕生し、生長し
今日に至っている娘達。
色々な方との、大切な絆の中で暮らしている娘達。

どうぞ、お世話になった方々のご恩を忘れないで欲しい。
そして、自分がたくさんの方々からいただいた愛情を
今度はあなた方が、他の方々に分けてあげて欲しい。

そして、ハッピーな日も、少しだけアンハッピーな日も
必ず、次ぐに繋がる新しい日があることを信じて
精一杯生きて欲しい・・・・とじじとばばは願っている。

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ばば
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