もし、あの時・・・・

10月15日(月)曇り風強し
ばばが子供の頃は、よく両親に言われた。
どこそこの坂道は暗くなったら「首っ切らワンクヮ(首のない子豚)が
駆け上がって来るから行くなよ」とか、
「どこそこの畑へ行く道は、人さらいが来るから通るなよ」と。
言われてみれば、何となく薄気味悪く恐い道だった。
1カ所は墓地の横を通る道だったし、もう一方は海に近い坂道だった。
海に近い坂道の方は、未だに、うっそうと薄暗くて恐いし
ばばは、もう何十年も通ったことさえない。
近くに自分の畑があるんだけど。
なぜ、あの頃両親は我が子にああいう話をしたのだろう?と思う事がある。

たまたま、昨日ある先輩がこんな話をしてくれた。
その先輩は、ばばより10才くらい年上だ。

ある日、学校の下の浜で妹と、友人と3人で遊んでいた。
すると、沖の方から船が近づいてきた。
そんなに大きくはなかったそうだが、浜へ近づいてきた船の
後ろの方がパカ〜〜っと割れ、そこからボートが飛び出したそうだ。
そのボートは、砂浜へ向かって近づいてきたそうだが
「もうすぐ浜」という地点で横倒しになって、乗っていた人は海へ投げ出され・・・・
二人の男の人が必死に浜へ向かって泳いできたんだって。
見慣れた島の人ではないし、恐くなって先輩と妹は動けなくなった。
先輩の友人のYちゃんは、俊足で知られていたらしいが
「私が人を呼んでくる!」って走り出したって。
ほどなく、すぐ近くにあった中学校の校長先生と教頭先生が走ってきた。
その頃は、海から泳いできた男の人ふたりも浜に上がっていたそうだが
先生方は、男の人たちを校長室へ連れて行き、
濡れた服を脱がせてタオルで体を拭かせたり、脱がせた服を干したりしたそうだ。
男の人ふたりは何か話すらしいが、外国語で話すので
何を話しているかサッパリ分からなかった。
たまたまA先生が校長室へ入ってきて、男達と英語で話したそうだ。
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ばばが聞いたのはここまでで、外国語を話した男の人が
何処の人だったか?
何故、あの浜へ来たのか?
ボートより沖に止まった船がどうなったのか?
聞きたいことはたくさんあったけど、先輩達もすぐに校長室から出されたので
その後のことは知らないんだって。
その先輩は言った。
もしかしたら、あの船は北朝鮮の船ではなかっただろうか?
もし、Yちゃんが学校へ向かって走り出さなかったら
先輩を含め3人は拉致されてしまっていたのではないか・・・・
当時、中学校は浜のすぐ近くにあったから
すぐに大人の人を呼んでくることが出来たんだね。
もし、近くに大人がいなかったら・・・・・
今になって、ゾォ〜〜ッとすると先輩は話を結んだ。

今朝、テレビを見ていると北朝鮮に拉致された日本人3家族が
帰国して、今日で10年だと言っていた。
未だに帰国できない拉致被害者の方がテレビで話しているのを聞くと
胸塞がる思いがする。
拉致された方々も、そのご家族もどんどん年を重ねていく。
1日でも早く拉致被害者を取り戻す事は出来ないのか。
異国、それもばば達の想像を絶する環境の中で、耐え続けている日本人がいる。
「望みを捨てずに、待っていて」・・というのが何故かむなしくなる。
いつ、朗報が届くのだろう?


 

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