貴重な、貴重な・・・・

10月4日(木)晴れ
先日に続き、ばばが子供の頃家で飼っていた動物?。
鶏・・・・・・小さな小屋を作り2,3羽の鶏を飼っていた。
何の為に?
鶏が産んでくれる卵・・・・貴重な貴重なタンパク源だった。

鶏の餌をあげるのはばばの仕事。
セイヨウタンポポや野菜屑を小さく刻んで米ぬかと混ぜてあげたり
時には水を入れ替えてあげたり、サボりマン=怠け者のばばも
鶏の世話は良くしたと思う。

ある時、鶏の産んだ卵に異常が!
外側の固い殻が無く、黄身と白身が
薄皮に包まれたような状態の卵が産まれるようになったのだ。
ばばは、何が何だか訳が分からなかったけれど
父か母が言った。
「浜(海)に行って貝殻をたくさん拾ってきて、
それを粉々に叩きつぶして鶏にあげなさい」と。
きっと、鶏に与える餌にカルシウム分が不足していたんだろうね。
言われた通り、ばばは篭を背負って海へ行った。

当時、花徳の海岸は綺麗な白砂の浜が遠くまで続き
その白砂より更に白い貝殻がずぅっと帯状に連なっていた。
だから、貝殻を集めるのはとても簡単だった。
しゃがんで両手で貝殻を掃き寄せることを数回すれば
ほぼ篭一杯の貝殻はすぐに集められた。

家に帰って、集めて来た貝殻を石で細かく粉状になるまで叩きつぶして
他の餌と一緒に鶏に与えた。
すると、アラッ、不思議!
2,3日後には固い殻の立派な卵を産むようになったのだ。

今でこそ、卵はスーパーの目玉商品として1パック98円とかで買えるが
ばばが子供の頃、それはそれは貴重だった。
家庭訪問で訪れる先生に、新聞紙で卵をくるんでお土産に持たせたりしていた。
当時、先生はとても尊敬されていたからね。
この頃、母はばばに「大きくなったら学校の先生になりなさい。
そうすれば、みんなから尊敬されるし、卵もいただけるんだよ」と
呪文のように、ずぅっと言い聞かせていた。
母の呪文が効いたのか?貴重な卵が欲しかったのか?
ばばは、母の言う通りの道を選んだ。
だから、学校へ上がる前の母の一言が
ばばの将来をも決めてしまったと言っても過言では無い。

さて、鶏当番のばばは、鶏が卵を産む素振りをしたときは
ずぅっと鶏小屋の前にしゃがみ込んで
卵を産み落とすまで観察していたよ。
鶏のお尻の方からポトンと卵が産み落とされるのが
物珍しくて嬉しくて・・・・・・・
産み落としたばかりの鶏の卵を何回も採ったよ。
生暖かくて、何だか不思議な気がしたけどね。
でも、産みたての卵をばばがサッと取るものだから、
時には鶏につつかれたこともあるけど、つつかれる痛さより
産みたての卵を採る喜びの方が大きかった。

卵は何個か溜めておいて、かき玉汁のようなお汁に入れてくれた。
当時、従兄弟3名も我が家で暮らしていたので
我が家は10人家族だったけど、10人で数個の卵の入ったお汁を食べていたんだね。
切ないね・・・・・・・・・・・

じじも、卵がいかに貴重だったかは何回もしてくれる。
じじが子供の頃、義父は教員だった。
当時、教員の給料は安くて家族5人が生活するのは苦しかったので
義父は出勤前や、帰宅後、畑に出かけ農業もしていたそうだ。
そんな父が病気になったとき、早く元気になってもらう為に
母は1個の半熟卵を作ってくれたそうだ。
貴重な貴重な1個の半熟卵。
父は、まず卵を割ると、卵の殻や小さな皿に、ほんの一口ずつの卵を入れ
3人のじじ兄姉に与え、その後自分が残りを食べていたそうだ。
そんな時、母はいつも卵を食べることを辞退していたそうだ。
家族5人でたった1個の卵・・・・・

当時は、どの家庭も似たり寄ったりだったと思う。
だから、悲しいとか、惨めとか、貧乏などと思ったことは無かった。
物は少なくても、家族が大きな愛で絆で結ばれていた時代だったんだね。

貴重な卵を産んでくれる鶏だけど、卵を産まなくなったとき、
今度は、肉となって家族のタンパク源になった。
鶏汁、とても美味しかったけど、それは鶏の命と引き替えのお汁だったんだね。
豚が殺される現場は見たことは無いけれど、
鶏が殺されるのをチラッと見たことがある。
鶏が可愛そうで、人間ってなんて恐ろしいんだろうと思ったけど
母が作る鶏汁は「美味しい、美味しい」と食べていたばば。
本当に「生き物の命をいただいて」ばば達は生かされているんだね。

今や、物余りの時代。
たくさんのまだ食べられる食物が「賞味期限切れ」「消費期限切れ」ということで
大量に廃棄されているらしい。
子供時代の事を考えれば、余りに時代が豊かになりすぎて
色々な事の有り難みを軽視しているのでは?と反省することもある。

ばばも、身近な日々の生活から、もう少し見直していく必要があるかも知れないなぁ。


 

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