水担ぎ
10月3日(水)晴れ
出先で必ず出る会話。
「今度の風強かったね〜。何か被害無かった?」
2日前、撮影から戻って来たじじが言った。
「今日、撮影で歩いたコースの彼方此方にトタンがあった」と。
ばばは、一瞬何も考えず「不法投棄?」と言ったら
「いや、今度の台風で民家とか倉庫とか
畑の小屋から飛ばされて来たんだろう」と。
今回、多くの民家の屋根が吹き飛ばされたと聞く。
トタンやトタン用の釘も、お店には無いとも聞いた。
ばばの実家のすぐ前にある畑にも
トタンが何枚も飛ばされてきていた。
又、我が家から見える倉庫も屋根が全部吹き飛ばされている。
我が家の車庫は、15号が襲来した時に
トタンがたくさん吹き剥がされたが、
リフォームをして下さっている大工さん達が
全部倉庫内に運び込んでくれた。
今回の台風で又飛ぶのではと心配したが、風が強くなる前に
何処の何方かが、土嚢を置いて重し代わりにして下さっていて
今回の被害はゼロ。
土嚢を老いてくれたのは、大工さん達では無いという。
どなたがして下さったのか?お礼を言おうにも相手が分からずそのままである。
台風でトタンや河原が吹き飛ばされたかと思うと
大きな木も根こそぎ倒れているという。
ばばの実家集落にある周囲1メートル以上もあり
樹齢7,80年の松の大木も根こそぎ倒されているそうだ。
又、車も吹き飛ばされたり、クルクル吹き回されたりしていたらしい。
台風だけで無く竜巻も彼方此方で発生していたのでは?と言う人もいる。
今回、最も被害を受けたのはやはり農家の方だろうなぁ。。。。
ばばがいつも行くお店で会うおじさんも
「今年はサトウキビもタンカンも生姜もダメだ」と嘆いていた。
これから収穫を迎えるこれらの農作物が壊滅的な被害を受けたら・・・・・
農家の方々にかける言葉も無い。
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前述した、実家集落の松の大木と言えば
忘れようにも忘れられない思い出がたくさんある。
ばばが子供の頃、まだ水道が無く
飲料水を初めお風呂の水も泉から汲んで来ていた。
汲んで来る・・・・と簡単に書いたが、それはそれは重労働であった。
バケツ2個を天秤棒のような棒で担いで水を運ぶのだ。
10回、20回・・・いやそれ以上、バケツ2個いっぱいの水を担いで
家と泉の間を往復するのだ。
ばばの家から泉までは直線距離にすれば、ほんの100メートルくらいだったか?
しかし、泉へ行くには急な坂を下らなければならなかった。
急な坂道への下り口に大きな松の木があった。
季節によっては松ぼっくりをたくさん落としてくれた。
しかし、とてもとてもイヤな季節があった。
それは・・・松の木に付く毛虫が大量発生する季節。
大量発生した毛虫は木からぶら下がるだけでなく
道路にも何百匹と落ちてモゾモゾ動いていた。
裸足だったばば達はいかに毛虫を除けて歩くかが一番の課題だった。
行きは、まぁ良いとして帰りは水を満たしたバケツが重くて
毛虫を除けてピョンピョン跳ぶわけにも行かず・・・水をこぼしたら
更に泉に通う回数が増えるから・・・・
春夏秋冬、1日も水汲みをサボるわけにはいかず
すぐ上の姉と、ばばの誰かが必ず水汲みをしなければならなかった。
姉は今でも言う。
「小さい頃、毎日毎日水担ぎをしていたから背が伸びなかったかも」って。
雨の少ない年はね、泉の水が涸れてしまうの。
だから、各自家から柄杓を持って行って、泉から少しずつ湧き出る水が
溜まるのを待って、柄杓で汲んでバケツに入れていたんだけど
バケツ2個に水を満たすのに相当の時間を要していた。
この泉のみ水がすっかり涸れると、集落内の更に遠い泉まで行き
その泉も水が無い時は、隣集落の泉まで通っていた。
農作業も一通りはやったばばだけど、
家の手伝いで一番きつかったのは水汲みだなぁ・・・・・
「水汲み」と言わずズバリ「水担ぎ」って言っていたけどね。
小学校何年生の時だったか?
水道が通った時の嬉しかった事!
すぐに各家庭に水道が引かれたわけでは無かったけれど
急な坂道を上り下りしなくて良いし、家のすぐ近所の水道の所まで行けば
水が汲めるし・・・・今は蛇口をひねれば水が出る時代だけど
台風とかで断水すると、改めて水のありがたさを痛感するし
また、幼かった頃の辛かった「水担ぎ」の日々を思い出して切なくなるばばだ。