サイレン台・通学路
4月23日(月)晴れ
ばばが子供の頃・・・早朝6時(5時だったかなぁ?)・正午・
夕方5時に校区3集落にサイレンが鳴り響いた。
ばばにとって早朝は目覚まし・正午は昼食・夕方は帰宅時刻の目安だった。
今も1日3回、あのサイレンは鳴り響いているだろうか?
今住んでいる地域でも、10数年前まではサイレンが鳴っていた。
しかし、最近ではばばがサイレンの音を意識することはほとんど無くなった。
昨日会ったある人に聞いてみると、
「朝と昼は鳴らないけど、夕方5時には鳴るよ・・・」って。
そうかぁ・・・たまぁに聞くことはあるけど、
ほとんど、ばばはサイレンの音を聞いていないだけなんだね。
サイレンが鳴っていた頃は、サイレンの音が
「ウゥ〜〜〜ゥゥゥゥゥ〜〜〜〜」鳴りだして
鳴り止むまで、だいたい数十秒から1分近くは鳴ったと思うが、
最近では、たまにばばがサイレンの音に気づく時
ほんの10秒足らずで消えてしまう。
これは、サイレンが鳴らなくなった発端ともなった
ある事件が関係しているらしい。
ばばが子供の頃、どの家にも時計があるという時代ではなかった。
今はどの家にも時計があり、外出時は腕時計をし
腕時計はなくても携帯があれば時間が分かる時代だから
サイレンは必要ないね。
子供の頃は実家集落の近くにサイレン台があって
定時に大きな音で鳴り響いていたが
「どうして?あのサイレンを鳴らしているんだろう?」と思ったことは何回もあった。
大分経ってから思うに、定時になれば音が鳴るように
きっとセットされているんだろうなと思うようになった。
・・・が実際は分からない。
もしかしたら?役場でサイレンを鳴らす担当者がいた?
まさかねぇ・・・・
このサイレン台は、
通学路途中の畑道を上がって行った場所にあったと記憶している。
1回だけ、家に帰る途中、友達数名とサイレン台の近くまで行ったことがあった。
細長い角形の鉄柱のような物があったと記憶している。
4月初旬、ある方のホームページに
ボランティアで、このサイレン台周辺の雑草刈り払いをして下さった
ふたりの方が紹介されていた。
ばばも知っている方だったので、後日電話をする機会があり
その中でサイレン台のことを聞いてみた。
当時は通学路途中から行けたのだが、今はある方の家の近くから行く
1ルートしかないそうだ。
ばばが子供の頃通った道は雑草が生い茂り、
今は人間が通ることも出来なくなっているんだって。
今は、通学路とか決まっていてそのルートを登下校するだろうが
ばばの子供の頃は決まった「通学路」はなかった。
朝はとにかく最短距離を通っていくけれど
帰りは彼方此方回り道をして帰っていた。
何故回り道をしたかと言うと・・・・
以前にも書いたけど、男子が待ち伏せをしていて、ばば達をいじめるので
いかに男子に見つからず家に帰るかがばば達女子の最大課題であった。
来る日も、来る日も頭を寄せ合って相談し、
男子に遭遇しないであろうルートを通るようにしていたが
それでも、たまに男子と女子の思惑が一致し、
男子にいじめられて、泣きながら帰ったこともある。
ばばは、いじめられて泣いた記憶は無いけど
男子がワッと目の前に現れただけでSちゃんは泣き出し
ばば達はいつもSちゃんをなだめながら必死で逃げ回っていたのだ。
今、男子同級生と会っても、そんなこと覚えている人はいない。
でも、いじめられたばば達は何十年経っても忘れられない。
怖かったけど、今思えば微笑ましい思い出。
男子だって本当に女子に暴力をふるって
怪我をさせようなんて思ってはいなかったと思う。
「畑に押し転がすぞ〜」と言われたり
たまに赤土の塊を投げて女子が怖がり、逃げるのが面白かったんだろうね。
当時は、ただ怖くて逃げることしか考えなかったけど・・・・
家に帰って、両親に男子が意地悪することを言いつけても
別に親が男子宅に怒鳴り込んでいくこともなく、
子供同士のことに、ほとんど親は口出ししなかったからね。。。。
そして、ばば達は逞しく育ってきたんだなぁ・・・
「サイレン台」と言うと、小学生時代の登下校時のことがすぐ思い出される。
晴れた日・大雨の日・風の日、
それぞれにいろいろな遊びを見つけながら通った通学道。
懐かしいなぁ。
いろいろな懐かしい風景が消えつつある故郷だけど
出来れば残して欲しいと思う風景がいくつもある。
明日は「墓地礼拝所」のこと書くね〜。