重荷を下ろした日

10月25日(火)晴れ
昨日は「重荷を下ろしたような」日だった。

介護施設に入所している義母が以前から
「父ちゃんに会いたいから、病院に連れて行って」と言っていた。
義父は病院に、義母は介護施設にお世話になっている。
介護施設から、病院までほんのわずかな距離なのだが、
前回、義母を病院に連れて行って義父と面会させた時のことを
思い出すと気が重くて、ついつい先延ばしになっていた。

わずか1時間あれば、義母の願いを叶えてあげられるのに・・・
親不孝なばばです。

準備として
天気が良い日。
まず、義父の体調が良い時。
義母の体調が良くて、入所している施設の行事等がない日。
介護タクシーが空いている日。
等さえクリアできれば良いのだが。。。。

一昨日、我が家の末娘が帰省して義母と面会に行った時
面会を終えて帰ろうとしたばば達に
「自分も一緒に車に乗せて病院へ連れて行って」と言う義母。
何だか、自分が責められているような気持ちになり・・・
昨日朝、介護タクシーさんに電話を入れた。
午後2時頃から3時頃までなら大丈夫だとの返事。
次に母がお世話になっている施設に電話して、何も行事はないと言うので
再度介護タクシーさんへ電話して、2時からお世話になる事に。
1時過ぎに自宅を出て、タクシー会社へ寄り、再度時間を確認後
ばばは、一足先に義母の元へ。
待つほども無く、タクシー到着。
車椅子毎義母をタクシーに乗せ、ばばは助手席に乗って病院へ。

車椅子で義父が入院している階へ上がり、部屋へ入ると
義母は「父ちゃん〜、○○(自分の名前)よ。
忘れてなんかいないよね。ねぇ、分かる?」と何回も何回も言い
次に、車椅子から立ち上がろうとした。
しかし、片方の足が不自由な義母はなかなか立ち上がれない。
ばばが手助けして、何とか立ち上がらせたら、不自由な姿勢のまま
「会いたかったよぅ〜〜〜」と部屋中に聞こえるような声で号泣。
でも・・・義父は反応してくれない。
義母は、一人で話しかけ義父の体をさすり続けている。
60年以上連れ添った義父と義母。
見ていて、胸が詰まり、ばばも涙がこみ上げてくる。
本当に数ヶ月ぶりの再会だし、義母の好きなだけこの場にいさせようと思った。
約1時間、語りかけ、体をさすり、何度も号泣し・・・
車椅子に座りっぱなしで、自分の体も痛くなった義母。
「父ちゃん、又明日来るからね。今度は弁当買ってここで食べて
一日中、ここにいるからね」と声をかけ、
「ばばちゃん、ありがとう。いても、(義父が)ものも言わないから
もう帰ろう」って。

ばばは、再び介護タクシーさんへ電話をして迎えに来てもらい
母を施設へ送り届けた。

こんな近くなのに…これからは面倒くさがらず一月1回は
義父と義母を面会させてあげよう」と思った。
義母は元気だった2年前までは毎日病院へ義父を見舞っていた。
多い時には1日3回も手押し車を押して通い、語りかけていた。
自由に動けなくなった今、
何ヶ月も面会もできぬままに過ごす義母の気持ちは察して余りある。

義父と義母の姿を見ていると、長年連れ添った夫婦の思いが
ほんの少しだけばばにも分かる気がする。
自分の体が不自由でも、相手が返事をしてくれなくても
「相手が目の前にいる」ということを、確認できるだけで幸せなんだね。

今回ばばが嬉しかったこと。
介護タクシーの従業員さん達の対応がとても親切だったこと。
義父の世話をして下さっている介護士さんが親切だったこと。
介護士さんは、義母が父の体に触れやすいようにと
ベッドを動かし、更に義父の顔が義母の方へ向くように寝かせてくれた。
見舞いを終わって、介護施設に戻ったばば達を
職員さんが玄関まで出迎えてくれ、
「○○(義母の名前)さん、ご主人に会えて良かったですね」と
声をかけてくれたこと。

現在、じじとばばは両親を病院や施設を預けている。
病院や施設の方々が両親をお世話下さっているからこそ
自分たちは、普通の生活ができている。
これからも、たくさんの方々の「おかげさま」で
自分たちが暮らしていることを忘れず感謝の気持ちを持って暮らしていきたい。
そのためにも、自分たちが何か他人様のためにできることは
行動に移して行こうと思う。

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ばば
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