さようなら、Fさん

10月14日(金)曇り
今日は、11日に亡くなった、じじの同級生で「竹馬の友」、Fさんの告別式。
開式30分前に家を出て、斎場へ向かった。
しかし、斎場に着くとホールは満席。
じじは何とか空席を見つけ同級生の横に座らせてもらった。
ばばは、斎場の外に張られたテントの中へ。

次から次へと参列者が増え、ホール内も外も立っている人が出るほどだった。
Fさんのお仕事柄、また快活で人付き合いの良かったFさんとの
最後のお別れに全島中からたくさんの方々が馳せ参じたのだろう。

粛々と式は進み、同級生代表のYさんの弔辞があった。
その中で、小学生の頃のエピソード。
ある日、HさんにFさんが声をかけた。
「H、どこへ行くんだ?」
「これから決闘に・・」
「じゃ、俺も行く」とFさんは決闘に行くHさんに付き添って行き
一緒に闘ったんだそうだ。
当時から友達思いだったんだね。
思い出を語るYさんの声も震え途切れがちだった。
快活・豪快でいつも元気よく話すFさんだった。

じじも、小学生の頃は、よく一緒に勉強したり
遊んだりしていたそうだ。
当時、高校生の頃Fさんはお小遣いをもらっていたが、じじはお小遣いは無かった。
Fさんは、じじを当時のラーメンの名店へ誘い、
奢ってくれたりもしたそうだ。
今年の2月頃だったかなぁ?
大瀬川の畔で、川に来る鳥の話とか楽しそうに語らっていたFさんとじじ。
あれが最後の語らいになってしまったね。

4月、Fさんのお父様が亡くなられた。
その告別式では喪主として立派に務めを果たされたFさん。
お父さんの葬儀後、ほどなく体調を崩し、島外の病院に入院されていたそうだ。
入院から、約半年。
Fさんは無言の帰島をした。
まさか!こんなに早く・・・誰もがそう思ったことだろう。
それほどの急逝だった。

一人残された奥様の心中、察するに余りある。

出棺の時、じじも棺に寄り添っていた。
折しもスピーカーからは「オボラダレン」という
島口で「ありがとう」のフレーズが何度も流れ涙が溢れて止まらなかった。
島出身の歌手が歌っているのだろうか?
初めて聞く歌だったが、棺の中のFさんが参列者に「ありがとう・・・オボラダレン」と
何回も繰り返し言っているような錯覚にとらわれ、又涙がこみ上げてきた。
いや、Fさんを見送る参列者全員の内なる声の
「Fさん、ありがとう、オボラダレン」だったのかも知れない。

青い空を雲が走り、霧雨のような小さな雨粒が時折静かに落ちる中
Fさんを乗せた霊柩車は火葬場へ向かった。

火葬場の煙突から緩やかに立ち上る煙を見て
Fさんは煙となって天国で待つご両親の元へ旅立たれるのだろうか・・・・と思った。

Fさんは今日を限りに私達の前から姿を隠してしまわれたけれど
今日、告別に参加した大勢の人たちの心の中には永遠に生きている。
Fさん・・・本当に悔しいです!貴男のあまりにも早い急逝が。
勿体ないです。
もっと、もっと島のために表舞台で活躍して欲しかった・・・・
私達は貴男のことを忘れません。
どうぞ、天国から奥様やご兄弟、関わりを持たれた方々を
優しく見守ってあげて下さいね。
改めてご冥福をお祈りいたします。


 

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ばば
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