昨日からのアリ・クリ
10月9日(日)曇り
昨日は夕方になってじじが「諸田池にでも行ってみようか」
と言うので、例によって例のごとく、ばばは運転手に。
池にはなぁんにも珍しい鳥のいなくてすぐに退散。
「神嶺ダムの水位見て帰ろう」とじじが言うので
寄り道したら・・・・・・・
じじとばばの雨乞いの歌と踊りが功を奏したのか、満水になってたよ。
良かった!これで年末まで水の心配はいらないね。
というところで、今日は徳之島三町、町民体育祭。
じじとばばは、静かにお留守番。
天気予報では、夕方から雨。
雨は競技が終わってから降ってくれますように。
お昼前、ちょっと用事で出かけたら、
町民体育祭に行った人が多いのか?
スーパーも、道路もガラガラだった。
今日が終われば、島「スポーツの秋」の大きな行事はほぼ終わりかな?
ばばは、時々方言のことをブログにも書いているけれど、
急に生き物の名前とかを「方言で、何と言うんだったかな?」
と思うことがある。
昨日も諸田池から帰って来て、
突然「トンボ」を方言では何と言うんだったかな?と思った。
思ったらすぐにでも解決したいばば。
早速島口先生、じじに「じじ〜、トンボって方言で何て言う?」と聞いた。
しばらく考えていたじじ「エーダマだよ」と答えた。
でも、ばばに実家集落で、そんな言い方はしなかったはず。
「所変われば品変わる」ではないけれど、
「所変われば言葉変わる」で、島内でも方言は微妙に違うのよね。
違和感を感じつつ「エーダマ、エーダマ」と呟いていると
突然「ィエーダ」と閃いた。
そうだ!ばばの実家集落では「ィエーダ」と言っていたと思い至った。
「エーダ」とか、「ィエーダ」って書いてるけど、
発音は文字通りではないのよね。。。。
発音通り表記できないんだ〜島の方言は。
今、日記に書いておくことで方言をひとつでも
残しておきたいと思っているばばです。
過日「セミ」を方言で何というか答えが出ないまま
日記に書いたらご親切に教えて下さった方がおられて
「アササ」と判明。
とてもありがたかったです。
「アササ」を元に、頭を?首をひねりにひねっていたら
実家集落では、確か「アサハ」と言っていたのでは・・・と思いました。
まだ確かめては無いけれど、機会があれば
実家集落でどなたか、年配の方に聞いてみようと思っています。
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そう、そう、夕べは100歳の現役医師、日野原重明先生のドキュメンタリーを
じじと二人で観て感動した。
観ながらばばは「日野原先生のような先生に診ていただけたら、
例え死んでも後悔しない」と思った。
患者さんと、その家族に寄り添う先生のお姿に頭が下がるばかりだった。
また、9歳年下で91歳の奥様に対する先生の思いやり・・・・
あんな夫婦になれたらいいなぁ・・とつくづく思った。
先生が医師を志したのは幼少のある晩、苦労続きのお母さんが
急に体調を崩し、痙攣まで始めた時に
お世話になったお医者さんの影響が大きいそうだ。
その先生は夜中にも関わらず、往診して下さり、
日野原先生は「お母さんは死ぬんですか?」とは怖くて聞けず
「お母さんは助かりますか?」と聞いた時
「大丈夫ですよ。お母さんは、きっと元気になります」
と力強く答えて下さったそうだ。
また、日野原先生が若かった時に入院した
16歳の少女への自分の対応を反省し緩和ケアを始められたそうだ。
少女を助けたいとカンフル注射を何本も打ち続けた自分。
でも、もう少し穏やかに少女が天国へ旅立てるようなケアはできなかったのか・・・
番組では先生が関わられた二人の末期がんの患者さんが
穏やかに天国へ旅立たれた、その後、患者さんのご家族が
先生に感謝しておられる様子も出ていた。
先生はハイジャック事件にも遭遇し、あの事件を転機で
その後の医師人生に対する考え方も変わったと話しておられた。
10月4日、100歳になられた朝、
「朝目覚め 両手を挙げて 我百歳」と詠まれたそうだ。
先生の手帳には10年後のスケジュールまで書き込まれているとか・・・・
じじとばばも、日野原先生のような生き方に少しでも近づけるように
日々過ごしたいね。