1個の卵を・・・・・・

3月27日(日)曇
朝食を食べながら、じじが話してくれた「父親の思いやり」について。
これまでも何回か話してはくれてたけど。
今朝は、たまたま半熟卵を食べ始めようとした時、又思い出したのだろう・・・
じじがまだ幼かった頃、じじの家は凄く貧しかった。
そこで、卵など滅多に食べられないご馳走で、半熟卵なども父の分の1個しか無かった。
その頃の家庭では父親が一番権限があったんだろうね。
そこで、父は卵を小皿に割り醤油で味を付けた物を
割った卵の殻に入れて、じじと、じじ妹にも食べさせてくれたそうだ。
妻には食べさせなかったらしいが・・・(母はきっと自分はいらないと断ったのだろう)
半熟卵を食べる時、じじはよくこの話をする。
小さい子どもながらに父親の「思いやり・愛情」を感じていたのだろう。

ばばの家だって貧しかったから、卵など滅多に食べられなかった。
家で鶏を飼っていて、その鶏が産んだ卵を宝物のように頂いていた。
でも、鶏もたくさん飼っていた訳ではなく、ほんの2,3羽だったので
産まれる卵の数だって限られている。
当時のばばの家族は従姉達も同居していたので、10人の大家族だった。
母は、1,2個の卵を家族全員で食べるためにお味噌汁に入れていた。
お味噌汁の完成間近に割った2個の卵を全体に溶き流す。
母がお汁をお茶碗によそう時、ばば達は息を凝らして母の手元を見ていた。
どのお茶碗に卵がいっぱい入るかを見ていたのだ。
たった2個の卵・・・・・
10人分のお茶碗に一口ずつでも入るように母は気を遣っていた。
親心って、何てありがたいんだろう。

ばばも、当時は母のありがたさ等そんなに感じることもなく
ほんの一口の卵の入った味噌汁を頂いていたが
今にして思えば、じじの両親、ばばの両親、それぞれに子ども達に
いっぱい、いっぱい愛情を注いでいてくれたんだなぁ・・・・・・

今は物が溢れている時代だけど、
もっともっと食べ物にも感謝していただかなければいけないなあと思う。

東北関東大震災の被災者の方々の事を思う時
自分たちが節約できることは最大限に協力しなければいけないと思う。
3月も終わりになっても、暖かい奄美でさえ肌寒い日が続く。
被災者の皆さんが早く暖かな場所で眠れますように・・・・・

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ばば
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