宮城からの電話

3月15日(火)曇
良かったぁ〜〜涙・涙・涙。。。。。
実は、昨夜7時前に公衆電話から着信があった。
訝りながら出てみると、
「もし、もし、じじさん・ばばさんのお宅ですか?」と
普段と変わった訛りの男性の声。
瞬時にして分かった!
じじとばばが、案じていた宮城県若松区のAさんからだった。
「宮城県若松区ということで、
じじさんばばさんが心配されているだろうと思って」と。
ばばは「Aさん、よくぞご無事で。良かったぁ!良かった!」と
電話の前で泣き出しそうになりながら何度も何度も繰り返した。
このAさん、もちろん身内でも親族でもない。
昨年11月末だったか、ブログに書いたけれど
じじが数十年前バイクを譲って頂いた・・・・というご縁の方。
何名もいる希望者の中から、わざわざバイクをじじに譲って下さった。
当時は宮城県から鹿児島の更に南の小さな離島、徳之島までの
輸送手段も簡単にはなくて大変なお手数をかけてしまった。
それでも、Aさんはじじにバイクを譲って下さったのだ。
近県だったら、輸送手段も色々あり楽だったでしょうに。。。。
そう言うご縁でずぅっと年賀状のやりとりが続いていたAさん。
昨年末、奄美大島豪雨水害ではじじとばばは被害がなかったにもかかわらず
「東北の美味しい新米でも食べて元気を出して下さい」と
たくさんの新米を送って下さったのだ。
その時、ばばは「人間っていいなぁ??」と
たまたま帰省中だった三女と話し涙ぐんだものだった。
じじとばばにとって、今のAさんは大切な親族・身内だと思っている。

電話でも、Aさんは、まずじじの健康を気遣う言葉を下さった。
ご自分がいちばん辛く大変な時に、他人を思いやる言葉が出せるなんて・・・・
しかも携帯も通じない中、時間が限られているであろう公衆電話から。
Aさんのお宅は津波で屋根がやられたそうで、震度7くらいの余震があれば
ダメかもしれないけれど、とりあえずは普段の生活が出来ていると。。。。
Aさんは、4月に上京予定だと話された。
たまたまというか、4月はは、じじも上京予定。
何とか、じじの上京予定日に合わせて上京し、ぜひ会いたいと仰った。
その後も、「お互い元気で」と言い合って電話を切った。
でも・・・屋根がやられたお宅の修理もままならないだろうし
今晩あたりから冷え込むとも報道されている。
辛い辛い日々がずぅっと続くだろう、被災地の方々。
ばばは、かける適切な言葉さえ見つからない。

Aさんとの電話の後、ばばは、すぐじじの所へすっ飛んでいって
Aさんからの電話のことを詳しく話したら、じじも感激!感動!
「人間って、いいなぁ〜」・・・改めて思い、語り合った、じじとばば。
人間、距離的にいくら離れていても心と心は通じるものですね。

昨日は、三姉妹から「東京はいろいろな物が不足しているSOS」の電話があったが
島の電気屋さん「ベスト電器」に夕方電話をすると
電池・懐中電灯・充電器・携帯ラジオなど様々な商品が売り切れになっているそうだ。
東京などにいる家族や親族へ買って送っているそうで・・・・
他のホームセンターでも、普通は一ヶ月で2,3個しか売れない懐中電灯を
いちどきに3個まとめって買って行った人もいたそうだ。
遙か遠い東北地方の大災害は、こんな南の小さな島のお店にも。。。。
被災地へ優先的に送るために懐中電灯など入荷予定は分からないと張り紙がされていた。
私たちは、畳の上で温かい食事が出来、普段通りの生活が出来ている。
しかし、被災者の方々は・・・・
被災地の方が求めている物なら、懐中電灯・携帯ラジオ・
乾電池、その他諸々被災地優先で送ってあげて欲しい。

テレビで「お母さ〜〜ん、お母さ〜〜ん」と母を求めて叫ぶ少女がいた。
「とにかく、毛布と食料が欲しい」と涙ながらに訴えていた
被災地の首長さんの言葉にもらい泣きしてしまった。
この地獄絵のような状況を国民ひとりひとりが真摯に受け止め、
自分の出来ることをして協力し、助け合い、
何とか力強く再出発できる日が来ますように。。。

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ばば
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