いつまでも忘れないよ〜Eちゃん!
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1月31日(月)曇時々小雨
1月29日昼前、ばばは病院へ父を見舞い、洗濯物を取って帰って来た。
すぐに昼食の準備をし、食事を終えた時電話が鳴った。
ばば姉からだった。
「Eちゃんが亡くなったんだって」と。
「うそ〜〜〜〜っ」、ばばは叫ぶように言った。
「今日の朝、仕事に出かけようとして準備をしていた時体調が悪くなって
救急車で運ばれ、そのまま亡くなったんだって」・・・・・と。
嘘、嘘、嘘、嘘であって欲しい。
悲しい知らせは事実であった。
ばばが病院に行った時、エレベーターを使わなかったら
家族の方と会えていたかも知れない。
でも・・・やはり信じたくない,Eちゃんが亡くなったなんて。
だって、つい3日前、Eちゃんはばばの家の玄関まで上がってきてくれたんだもの。
何と、間の悪かったことか、ばばは外出中で、じじが応対してくれていたが
その日,Eちゃんは趣味の押し花教室で作った作品を
ばばと姉に「手作りの物が記念になるから・・・」とわざわざ届けてくれていたのだ。
昼間は仕事で忙しいEちゃんなので夜電話をした。
いつもと変わらないEちゃんとの電話。
ばばが「押し花額」のお礼を言うと「手作りの物をばばちゃんと、
ばば姉ちゃんにも記念にあげたくて。自分が作った物の方が記念になるからね」って言ったEちゃん。
本当に、キバナコスモスんの押し花額は、Eちゃんの形見になってしまった。
当日朝まで元気だったEちゃんが、あまりにも突然に亡くなってしまったという現実。
ばばは、じじの傍らで「ごめんねぇ、ごめんねぇEちゃん。
せっかく訪ねてきてくれたのに留守にしていてごめんね・・・」と声を上げて泣いた。
13歳年が違うEちゃんだけど、昔から「Eちゃん,Eちゃん」と呼んで甘えていた。
Eちゃんは、ばばの両親、イヤばばの家族を本当の親姉妹のように大事にし可愛がってくれた。
いろいろな優れた才能があり、大正琴は師範級・更に三味線・島唄もプロ並み、
カラオケ、硬筆、さらには英会話も習っていたとか・・・・・
ばばが自動車の運転免許を取った時、
実地試験で乗る運転コースを(5つのうちどれか1つが試験に必ず出る)
「鉄道唱歌」の替え歌で教えてくれたのもEちゃんだ。
1番から5番まで毎日口ずさみながら憶え、
無事一回で合格できたのはEちゃんのおかげだと今でも感謝している。
Eちゃんは数十年前にお持ちの作り方をプロから教えてもらい
いろいろなお餅を作って島内のお店で販売されるようになった。
白い餅はもちろん、よもぎ餅・グンジャ餅・黒糖餅など多種のお餅を作っていた。
婚礼の時、法事の時、節句の時、島内の人は一度はEちゃんのお持ちを口にしただろうとばばは思う。
ばばの両親が高齢になった時に、Eちゃんは畑から刈り取ったヨモギを持ってきて
その葉っぱを父と母は終日小屋で摘み取っていた。
そして、アルバイト料としてお小遣いを上げてあげていた。
80歳過ぎても自分たちで現金を稼ぐ喜びを、ばば両親に与えてくれたのもEちゃんだ。
Eちゃんは、小さい頃お父さんを亡くし、口には出せないくらいの苦労したそうだ。
Eちゃん自ら苦労話を聞かされたことはないが周囲の方が話してくれた。
しかし、Eちゃんは苦労を表に出すことなく、いつも気丈で頑張りやで働き者だったと。
Eちゃんが若い頃は農業もしていていたが、その畑は切り株や石ころだらけの畑だった・・・(そうだ)
畑の切り株を見て、ばばは「Eちゃんの畑は良いねぇ。椅子(切り株)もあって・・」と
幼かったばばは言ったそうだ。
ばばは、そういうことは全然憶えていなかったが、つい数年前聞いて
Eちゃんにとても申し訳なかったと思った。
まだ物心つかなかったばばは、農作業の邪魔者切り株を羨ましがっていたのだ。
Eちゃんとの思い出はたくさんあるけれど・・・・・
又、折を見て書いていきたいと思う。
今日はEちゃんのお葬式を終え夕方家に帰ってきた。
久しぶりにホットカーペットの上で夕食を食べたじじとばば。
偶然、ばばが目を上げるとつい5日前,Eちゃんが届けてくれた押し花額が目に入った。
押し花のキバナコスモスの間にEちゃんの笑顔が見えるようで、
まだEちゃんが、ばば達の前から姿を消したということが信じられない。
時間の経過と共に、この辛い現実を否が応でも受け入れていかなくてはならないことに気づくだろう・・・・
Eちゃん、天国でEちゃんのご両親や、ばばの両親・兄・姉とも会えるでしょうか?
ばば達のこと、いっぱい話してあげて下さいね。
そして、天国から地上の私たちを見守っていて下さいね。
いつも忙しく頑張りすぎたEちゃん、ゆっくりお休み下さいね。