ご縁・・・・それぞれの新しいスタート
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9月2日(木)晴
昨日、9月1日は新しい出発の日だった。
入院中の義父が90歳の誕生日を迎えた。
働き者でじぃっとしていることが嫌いだった義父。
ベッドに寝たっきりの生活は不本意きわまりないと思うが
去年11月、胃漏の手術をしてから寝たっきりになってしまった。
寝ていることが多いが、毎日語りかける家族の声はきっと届いていると信じている。
寝たっきりでも良い。
義父がいてくれるだけで私たち家族は幸せです。
誕生日を迎え、90代の日々の始まり・・・・・・・
ずっとずっと長生きしてね、お義父さん。
6月11日、突然体調を崩し、そのまま入院してしまった、お義母。
義父と同じ病院で3ヶ月の療養生活を送っていたが、
奇しくも義父の誕生日に介護施設へ移ることになった。
色々逡巡したが、今はじじとばばふたりともスッキリした気持ちだ。
義母の施設での生活がスタート・・・これも新しい出発だ。
今回、介護施設への入所に際して「人の縁」というものを改めて感じた。
母が入院した当初は元気に退院できるものと信じて疑わなかった。
しかし、左手と左足に麻痺が残ってしまった。
約2ヶ月近くのリハビリで左手はだいぶ力もついたが
左足はなかなか思うように動かせず・・・車椅子も自分で動かせる状態ではない。
これ以上リハビリを続けても、大きな進歩はないということと
リハビリ療養入院は3ヶ月以上は難しいということもあり、施設のお世話になることを決めた。
今から数週間前だろうか?
たまたま行き付けのスーパーで、ばばが母校での勤務中お世話になったAちゃんと出会い
偶然母の話をばばがした。
Aちゃんは、現在老人介護施設で働いている。
そして「いつか義母がお世話になるかも知れないので、その時はよろしくね〜」と
冗談ぽく話して別れた。
当時は、まだ義母の入院生活はまだまだ続くものと思っていたのだ。
義母の入院生活ももうすぐ3ヶ月になろうという先月25日の朝
ばばが約40年前に関わった教え子Bちゃんから電話が入った。
「Kちゃんが働いている施設に一つ空きがある」と連絡があり、
Bちゃんから、ばばに連絡をしてくれるよう頼まれたというのだ。
Aちゃんは、ばばの連絡先分からないもんねぇ。。。
いつかは決断しなくてはいけないことだったが、義母を施設に入れることには
どうしても抵抗があり、ばばは踏ん切りが付かないでいた。
その時,帰省中だった長女が「お母さん、今が決断の時じゃない?
私も一緒について行くから、まず施設を見たり、説明だけでも聞いて来ようよ」と行った。
早速じじとばば、そして長女で施設を見に行った。
まず、玄関を入ると顔見知りの女の方が「私、こちらに転勤になったのよ〜〜」とニコニコ話しかけてきた。
義父がデイケアに通っていた時お世話になっていた方で、ばばと公民館口座で一緒に学んだ方だった。
さらに施設の中に入って、事務長さんや相談員さんと話したが
女の方の方が義父やじじを知っている方だった。
さらに途中、お茶を持って入室された方は、なんとじじの教え子のお母さん。
お話を聞いたあと廊下を歩いていると、30数年前のばばの教え子のお姉さんともバッタリ。
今は、この施設で働いていると言う。
約1時間、説明を受け、相談をし、部屋を見せていただくうちに
じじとばばの気持ちもだんだん固まってきた。
環境も良さそうだし、職員さんも親切で知っている方々がたくさん働いておられるということで
とても心強く感じられたのだ。
さらに、園長さんもばばが顔見知りで昔から知っている方だった。
この日はAちゃんとは会えなかったが、ばばの中学校時代の同級生、Cちゃんもここで働いている。
このCちゃんとも数週間前病院の待合室でバッタリ会い、この施設のことを聞いたり
「いつか義母がお世話になるかも知れないけれど、その時はよろしくね」と話して別れたのだった。
それから1週間後の9月1日。
、義母は病院から直接施設の方へ退院することに。
病院を出る時は顔見知りのおばちゃん達と手を握りあって泣いていた義母。
折しもスコールのような雨が降り出した。
義母の涙雨のようにも思え、ばばは切なかった。
ところが、施設へ近づくにつれ雲の切れ間から青空も見えだした。
部屋へ入り、ベッドに座った義母は、どこか不安気だったが時間がお昼前だったので
すぐ食堂に連れて行かれた。
じじは事務長さんと話したりしていたが、ばばより先に帰ると言う。
ばばと姉は、やはり母が食事から帰ってくるまでは待っていて様子を見ようと残った。
食堂へ行き、離れた所から見ていると、母はとても美味しそうに食事をしていて、ばばと姉はホッ。
約30分後、母はニコニコ戻ってきて「ご馳走がいっぱい出たので、みんな食べたよ。
病院の食事と同じくらい美味しかったよ」と報告してくれた。
ひとまずは、安心だ。。。。。。。。
しばらく雑談した後、義母が「じじの食事を作ってあげるんでしょ。
私は大丈夫だから、もう帰りなさい」と言ってくれたので
昼から又来ることを約束して一旦帰宅した。
夕方、再び行ってみると、母はもう夕食を終え部屋に戻っていた。
とても穏やかな顔をしている。
良かったぁ〜〜。
孫のことや曾孫のこと、近日中にテレビを設置してあげることなど話すと
母はニコニコと聞いていた。
一夜明けて、じじも母のことが気になるのか10時頃面会に行った。
帰って来たじじによると、母はとても穏やかだったと聞き、ばばは又安堵した。
昼2時頃、ばばと姉も面会に行った。
義母はお風呂に入れてもらい、さっぱりした表情で食堂のテレビの前に座っていた。
母がテレビの前に座るなんて、何十日ぶりだろう????
その顔もとても穏やかで、入院する前の優しい義母の顔だった。
施設へ入れるということについて、ばばは抵抗があり、義母の入院来、ずぅっと逡巡もしたが
思い切って良かった!とつくづく思え、久しぶりに気分もスッキリした。
施設に空きが出たことを、いち早く情報提供してくれたAちゃん・Bちゃん。
素早く病院と連絡を取り、入所手続きをして下さった施設の方々、
そして、お世話になっている・・これからもお世話になる施設の職員の方々、
じじとばばの背中を押してくれた長女。。。。。。。。。
たくさんの方々との「ご縁」が今回の義母の施設入所を可能にしてくれた。
ありがたいと思う。
人間、何時誰のお世話になるか知れない。
だから、何時も誠意を持って人と接しなければいけないと常々思っているが
今回特に「ご縁」ということを強く感じた。
これからも多くの方々と「良いご縁」を結び続けていきたいと思う。