K先生

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4月24日(土)曇

朝、インターネットである方のHPを見ていると

突然、知り合いの名前が目に飛び込んできた。

K先生・・・が亡くなられたという。65歳で・・・。

そして、今日10時から告別式だと書いてある。じじにも直ぐ教えた。

告別式に行かなくちゃ・・・・姉に電話して一緒に行くことにした。

9時過ぎに斎場に向かった。

沢山の弔問客が集まっておられた。

祭壇では在りし日のK先生が穏やかに微笑んでおられた。

奥様のお姿が見えなかったので、気になったが、

入り口でお会いし、無言で手を握りあった。

 

K先生・・・・・

直接の面識はあまり無い。

我が娘が小学生の頃吹奏楽のご指導をして下さった。

奥様も教員で、ばばが小学生の頃ばばの母校に初任で赴任してこられた。

直接担任ではなかったが、ばばの姉も同じ職場にいて色々お世話になった。

ばばが社会人になった時、同じ町で仕事をして、言葉を交わすようになった。

ばばが小学生だった頃のことや、ばば姉のことが良く話題になった。

その後、K先生とS先生はご結婚され、島外へ転勤になった。

全くの音信不通が長く続いた・・・・・・・

ばばが加計呂麻へ単身赴任していた頃、沖永良部で研修があり

奄美空港でじじ妹と待ち合わせ、小さな飛行機に乗って沖永良部へ向かった。

研修が終わり、一泊。

次の日、飛行機の出発時間まで妹と二人、どのようにして時間を過ごそうかと思っていた時

たまたま同じ研修会に参加されていたK先生がレンタカーで

沖永良部をぐるっと回って下さった。

K先生はガイド役兼運転手で妹とばばをあちこち案内して下さり、

あちこちで美味しい物もごちそうして下さった。

その後、空港までも同行して下さり、同じ飛行機で帰った。

・・・・・・もう、10年くらい前のことだ。。。。。

ばばは、当時までK先生と個人的に話したこともなく、色々お世話になったことで

凄く恐縮していた。

ばばが、加計呂麻での勤務を終え母校に赴任し、挨拶回りをした時た時、

何と!

K先生が直ぐ隣の学校に校長先生として勤めておられびっくりした。

沖永良部でのお礼を改めて述べ、その後、何回か奥様ともお目にかかることがあり、

小学校時代の恩師と教え子が、まるで姉妹のように親しくお話する様になった。

K先生も5年前に退職された。

たまにスーパーなどでご夫婦に会うことがあり、

今は野菜作りなどしておられると話して下さったK先生だったが・・・・

それに、今年になってからだったかなぁ〜〜〜

ある日、ローカルニュースでK先生が手作り野菜を生鮮市場へ出荷される映像が映り

「お元気で頑張っていらっしゃるなぁ」と喜んでいたのだが。。。。。

まさか、こんなに早くお別れの日が来るなんて予想もしていなかった。

先生の遺影の前で改めて沖永良部でお世話になったことや

娘がお世話になったことなどのお礼を心の中で述べた。

K先生、どうぞ安らかにお眠り下さい。

謹んでご冥福をお祈り致します。

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