2月6日

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2月6日(土)小雨時々曇り

2月6日、今日は三女ピカちゃんの誕生日。

おめでとう〜〜〜。

夕べは日付が変わった瞬間に「おめでとうメール」をしようと思ったが

目が覚めたのは、6時過ぎ。

その後もグダグダしているうちに時間はどんどん過ぎ8時前。

「出勤準備で忙しいだろうな〜〜」と思いながら朝食準備。

テーブルに座ったものの(食事よりおめでとうメールが先だろう〜)と自分に言い聞かせ

コーヒーを飲むじじの横で短いメールを送信。

じじと(○○年前の今朝、ピカちゃんが二人のもとにやってきたんだよね〜」

「3姉妹のうち、ピカちゃんだけ新しい病院で生まれたんだよね〜〜」等と

ピカちゃんが生まれた日のことなど話しながら朝食。

(電話は、夜ゆっくりした方が良いかな?)と思っていたが

考えてみると今日、ピカちゃんは休みじゃない?

何で気付かなかったの〜〜〜〜もうぅ!

気付いたのが遅く、もう11時過ぎていたが直接声が聞きたくて電話。

いつまでも、子供だと思っていたピカちゃんが

今じゃ大都会東京の荒波の中で日々もまれて生活しているんだな〜。

生まれた時、3番目ということもあり、ばばのお産はとても軽く

自分からこの世に飛び出してきた!と言う感じだった。

丸々太って、ニコニコ元気の良い赤ちゃんだったな〜〜。

お姉ちゃん達と年が離れていた分、

ある意味、周囲の愛情を一身に受けていたね。

そんなピカちゃんが、一時「とてもきかん坊」の時期があって・・・

我が儘し放題で、いつまでもぐずぐず泣いて・・・・

なんだったんだろうあの時期・・・って今でも思う。

ピカちゃんが小学校一年生だった、ある日

「私、自分の名前嫌だ〜〜」と言ったピカちゃん。

理由を聞くと、「おほしさま」の歌詞に

「きらきら 光る お空の星よ〜」と言う歌詞があり

その中に自分の名前があるので、

その歌詞になると友達がみんな自分の方を向くのが嫌って・・

それに同級生に「ひかりちゃん」っていう子がいたのよね〜。

だから、自分も「ひかりちゃん」になりたいって・・・・

その時「じゃ役場に行って名前代えてもらっておいで」って

答えたじじ&ばば・・・・

ばばは、自分の名前について深く考えたこともないし

小学校高学年になる頃、ほとんどの同級生は漢字の名前なのに

自分は平仮名なのだろう?って考えて

わざと答案用紙などに漢字を当てて名前を書いていた時期があったけどね。

大学生になった頃は勝手に「ベラ・ルーシー」と名乗って

詩や短編小説擬きを書いて悦に入っていたけど・・・・・

これから見ると、ばばの方が不良?だったかな?

ピカちゃんは、そこまではしなかったもんね。

ピカちゃんは4年生からだったかな?吹奏楽部に入り

大西先生という素晴らしい指導者の下ジャズバンドにも所属し

あちこち演奏旅行もしたね。

ジャズの大御所と共演したこともあったよね。

本当に良い経験をしたね。

お姉ちゃん二人をいつもそばで見ていたので

小学校高学年からは自分で制服にアイロンをかけ

高校の3年間は自分で弁当を作り、本当に手がかからなかったピカちゃん。

成長するにつれ、門限など厳しすぎてじじ&ばばに

反抗したこともあったけど、・・・・といっても、ばばに直接反抗したことはなかったかもね。

「親には親の子育て方針」があってね、

「していけないことは絶対させない」「時間を守る」「嘘を付かない」等々。

それで、子供達に窮屈な思いをさせたかも知れないね。

今になって、当時のあなた達の心中を考えると「厳しすぎたかな?」と 

思うこともあるけど、後悔はしていないよ、自分たちの子育てに。

厳しくする分、我が子が周囲からいわれ無きいじめ?等にあった時は

どのような方法ででも我が子を守る!という強い信念はあったよ。

その一例が正月に帰省した時や、何かのおりに話題になる「ばば、真夜中の追撃」談かな。

今なら本当の笑い話だけどね。。。

ピカちゃんと一緒に生活していた時、

料理とかいろいろ教えてあげられたら良かったんだれど

自分の仕事に夢中で何も教えてあげられなくてごめんね。

実生活の中でたくさんのこと学んでいってね。

子供が自分より物知りになり、体も大きくなっても

やはり親にとっては子供は子供。

子供とは親にとって全力で守るべき、何物にも代え難い宝物。

子供が、いくら口では強がったり、反抗したりしても

そぅっと寄り添ってくる・・・そんな親でありたいな。

寄り添ってくれる子供をしっかり受け止められるようなね・・・・

ピカちゃん、徳之島の諺に

「うやや  牛ぬぅ毛ふどぅ くうぁぬ くとぅ思ゆしが 

くぁや 牛ぬぅ角ほどしか うやぬくとぅ 思らん」って・・・・・

標準語に直すとね「親は、牛の毛の数ほど子供のこと思うけれど

子供は牛の角の数ほどしか親のことを思わない」ってことなのよ。

ばばはね、花徳の両親やじじ両親に、

それこそ言葉では表現しきれないくらいの愛情をもらったのよ。

でも、親への恩返しなんかほんの真似事しかできなかった。

「親からもらった愛情は子供へ返せ」っても言うんだよ。

ばばは、親孝行が出来なかった分、子供達へ恩返ししなくちゃね・・・・・

って思うけど、今じゃピカちゃん達の方がしっかりしてるからね・・・・。

いつも優しさと暖かい真心ありがとうね!

ばばは、ピカちゃんの親であることに感謝しているよ。

これからも幼かった日のように、時には思いっきり甘えてね〜。

今年は一緒に家族旅行できると良いね。

腕組んで、きれいな風景を見、美味しい物いっぱい食べられると良いね〜。

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