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10月30日(金)晴れ・風強し
1年3ヶ月、父がお世話になったグループホーム「たんぽぽ」。
しかし、今日、父の荷物を全て家に持ち帰った。
父が「たんぽぽ」へ帰ることはない。。。いや出来なくなった。
19日に誤燕性肺炎で入院した父だが、
今後は医療行為の出来る施設でしか暮らすことが出来なくなった。
昨夕、病院で主治医の先生がじじにこれからの治療方針につて説明があった。
現在父は、介助のプロが食べさせてもうまく飲み込めないことが多い。
このまま退院しても、誤燕→肺炎→入院という
悪循環が続く可能性が大きいという。
だから、誤燕をさせないために手術をすることになった。
90歳、体力もない父が手術に耐えられるか心配だが
現時点では最前の選択だという。
何も知らず、寝ているやせ衰えた父の姿を見ていると胸が締め付けられるようにつらい。
でも、これが父のため・・・・・・
病院からじじへ連絡があり、グループホームへも連絡が行って
昼3時過ぎから、父の荷物をまとめて家へ運んだ。
ベッド・衣装ケース・洗面具・衣服・・・等々。
4畳半ほどのガラ〜〜ンとなった部屋。せつない・・・・
思えば去年の7月。
急に空きが出来たということで「グループホームたんぽぽ」に父はお世話になることに。
家からも徒歩5分では行ける距離にあり、職員さんもとても優しく心配りをして下さり
安心して父をお世話してもらうことになり、家族は喜んでいた。
当時の父は歩くことも出来、時に意味不明のことを言うこともあったが
話も出来たし、食事も出来た。
しかし、1年でこんなにも・・・・と思うほど父の状態は悪くなり
2ヶ月間も入院したり、急に具合が悪くなり何回か点滴をさせたり・・・・
そして、目に見えないところでも症状は悪化し、
左の手足などが不自由になった。
歩くことも、食事も出来なくなり、液体を飲み込むことさえ困難になった。
ばばの両親が80代まで長生きしたので、当時60代だった父は
「僕もばばちゃんの両親のように長生きでいるかな・・・」と言い、
「百歳まで長生きしなくちゃ」と話していた。
書道と弓を趣味とし、農作業を楽しみ、バランスよく栄養を摂り
早寝早起き、絵に描いたような優等生的生活をしていた父。
ばばの両親の年齢を遙かに超えた今・・・・・・・・・・、
もう、家族さえたまには分からなくなってしまったけれど
「父がいてくれる」と言うだけで家族は幸せだ。
お父さん、百歳まではまだまだですよ。。。。。。
直接会話が出来なくても、あなたの目の動き、握り返す手のぬくもりで
じゅうぶん心は通じていますよ。
明日も、明後日も・・・毎日病院に会いに行きますよ。
百歳と言わず、長寿世界一めざしましょうよね、お父さん。