お父さん、わかりますか?他
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9月1日(火)晴れ
今日から9月。
島では昔(・・と言ってもいつ頃からかは分からないが)から
「1日(ついたち)、15日はお墓参り」をする人が多い。
ばばも昨日から考えていたので、今日は姉と二人で出発。
いつも詣るのは長姉のお墓・ばば実家のお墓・姉の嫁ぎ先のお墓の三カ所。
花や水を替え、雑草を抜き、お線香を立て合掌、最後にホーキ目を立てて終わり。
実家のお墓ではいつも今は亡き両親が目の前にいるような気がして
心の中で色々語りかける。。。。。。
墓参りが終わって、久しぶりに実家へ行った。
庭や裏の畑を見回った。
ビックリしたのは、父手作りの梯子が池に横たえられていた事と
鍵をかけた後、角材で外の戸が開かないようにロックしてあるのだが
その角材が途中まで引き抜かれていた事。。。。
近所の子どもたちが悪戯でもしたのか?気になる。。。
過日シロアリ駆除をして畳も上げたままだったので、その畳を敷き込むか見るために
室内に入ったのだが、何と表の間と寝間の床下に水が。。。。
どこから水が流れ込んでいるのか???
シロアリ駆除をしてくれた人が床下に水が入り込んでいると教えてくれたのだが
2ヶ月くらい経っても乾燥していないという事は今でも水が入っているという事か?
原因は?
どうしたらいいんだろう?
住む人がいなくなったばばの実家。
もう10年以上空き家だ。
「売ってくれ」「貸してくれ」という声もあったが
ばばは自分の生まれ育った家を他人任せにしたくなくて
ずっと管理してきた。
しかし、築40年も経つと家はボロボロ。
今まで防水工事、シロアリ駆除、外回りの木の伐採、
父が丹精した庭木の伐採などしてきたが、
家その物がボロボロになったらどうしたらいいんだろう??
現に押入の棚板も崩れ落ち、床板もポコポコになった場所があり、
細い柱が倒れそうになっている所もあった。
手を入れ、これから住むつもりはない。
でも、このまま朽ちさせるのは心痛む。
ばばの心は「進むも地獄、退くも又地獄」状態だ。
「お父さ〜ん、お母さ〜ん、どうしたらいいの〜〜〜」と叫んでも
当然ながら答えてくれる声はない。
今まで大部室内の整理はしてきたが、これからは残りの部分の整理もしておかなくちゃ。。。。
9月1日は「防災の日」。
朝からテレビやラジオで防災関係の放送が繰り返されている。
学者などの話を聞くと「準備して置かなくちゃ」と思うものの
数日経つとすっかり忘れて地震や自然災害が起こると、
その時は真剣に考えるが年に何回かしか防災について考える事はない。
「普段の準備が大事」と分かってはいるんだけど。。。。
9月1日はじじ父の89回目の誕生日。
お父さん、誕生日おめでとうございます。
この声はお父さんの耳に届きますか?
心に届きますか?
去年から父はグループホームに入所している。
たまに面会に行ってもじじやばばの事も忘れてしまっているようで寂しく思う。
几帳面で善悪の区別をきっちり付け、「悪いこと絶対しない、家族にもさせない」父だった。
じじと巡り合わせてくれたのも父だった。
自分の事よりまず子どもたちの事を優先してくれた。
目の光が強くキリッとしているので初対面の人には怖い印象を与えがちな父だが
じじと結婚して40年近く、ばばは父から大声や怒声を浴びせられた事は一度もない。
大正生まれで戦争の実戦にも参戦したという父。
参戦時近くで爆発があり、その後遺症で片耳が不自由になった父。
何より家族を愛し、教師をしながら農業もし、弓や書道を楽しみとした父。
ばばの料理を大袈裟とも言えるほど褒め、
口数は少ないけれど愛情深く孫たちを子ども以上に可愛がり育ててくれた父。
品行方正で正に理想の父だった。
そんな父も寄る年波に勝てず数年前から徘徊したり、
自分の身の回りの事さえも出来なくなってしまった。
日々別人のようになっていく父を身近で見ている事は辛かった。
幸い施設に空きが出来て入所できたが、入所後はさらに父の上で時間は急速に過ぎた。
家族の事も、自分の事さえ分からなくなっているのでは?と、たまに思う事がある。
「老い」は誰も避けて通る事は出来ない人生のレールだ。
父と過ごす時間はあとどのくらい残されている事だろう?
少しでも父が心安らかに過ごせるように見守っていきたいと切に思う昨今だ。