あれから20年近く・・・
10月4日(日)晴れ
ラジオの天気予報通り晴天の徳之島です。
お昼の室温は30度越え。
今日は、撮影に出かけるじじの車を誘導した後は、倉庫の断捨離。
過日、捨てきれなかった物でも、今日は、どんどんゴミ袋へポイ、ポイッ。
本気で物の数を減らそうと思っているから、迷ったら、数週間後に
もう一回判断したら、案外すんなり思い切れるという事が分かった。
今年1年かかっても、余計だと思っている全ての物を
捨てきれるかどうかは分からないけど、やれるだけやってみよう〜
整理しながら、倉庫の壁に飾られた「千羽鶴」に目が行った。
15年以上前、じじの教え子ちゃん達が、じじの回復を願って折ってくれた物。
予想だにしなかった、じじの病気。
奄美の病院の先生から、都会の大きな病院で再検査を受けるよう勧められ
じじは上京し、ばばは仕事の都合上、一緒に行けなかったので島に残った。
別棟に住んでいた、じじ両親と朝晩顔を合わせ、言葉を交わせたので
少しは心強かったが、やはり不安でたまらなかった。
かと言って、じじ両親を心配させてはならない・・・
上京したじじは、娘の家に居候させてもらい通院して検査を受けたりしていた。
じじの病名を聞いた時は不安でいっぱいになった。
手術日が決まり、職場の上司にも、一応報告はした。
上司も島の方で、じじもばばもよく知っている先輩だったので話しやすかった。
最初、「手術も簡単に終わるし、そんなに心配する事も無い」
と言うような、じじの話だったので、少し安堵はした。
娘達も近くに居るし、ばばは上京する予定は無かった。
すると、じじの手術数日前のある日、上司が放課後、
ばばを呼んでじじの様子を聞いたので、ありのまま伝え
ばばは、上京はしないと言ったら、
上司が「一番大事なご主人が、手術をするのに、何で一番頼りにしているあなたが行かないの?
クラスの子ども達や仕事の事は、全て私が引き受けるから、心配は要らない。
あなたはご主人に付いていてあげなさい」と言って下さった。
今まで我慢していた物が、わぁっと込み上げてきて胸がいっぱいになって
上司の前で頭を垂れた。
その日は、留守にしている間の学習計画などを作り、
とりあえずやらなくてはならない事は全て終え、帰宅して、
じじ両親にも上京の話をした。
周囲の上司や同僚達が背中を押してくれたおかげで、ばばが上京し
じじの手術に立ち会う事も出来た。
又、暫く後、当時のじじの教え子ちゃん達からは「千羽鶴」が届けられた。
ひとりひとりの子ども達が、じじの事を思いながら
一心に折ってくれたであろう、色とりどりの折り鶴。
折り鶴の上の方には、時期はズレているかも知れないけれど
ノートを切り取って子ども達が書いたと見られる寄せ書きも結びつけられて・・・・
本当に「ありがとう!」という言葉以外に言葉も無い。
20年近くたった今も、いや、今後も、あの時の感謝の気持ちは言葉に尽くす事が出来ないだろう。
最初の診断より、深刻な状況だった、じじの病気も
色々なご縁の繋がりで手術も無事終了した。
あれから20年近く。
じじは体調に気をつけ、食生活などにも気を遣い規則正しい生活をしている。
そして、毎日、重いカメラを担いで撮影に出かけ、野鳥を追いかけている。
色々な方々とのご縁があって、沢山のご厚意の中で、
じじは「人生最大の危機」を乗り越え、今のじじがいて、そしてばばがいる。
ばばは、年を重ねる毎に、今の自分があるのは
沢山の方々に支えてもらった結果だという思いが強くなっている。
同じような事を何回も書いているけれど、
自分がお世話になった分、少しでも周囲の方々に、
出来る形で、ご恩返しを続けていきたいと思う。
そして、いつも感謝の気持ちを持ち続けていたいと思っている。