思い出すなあ・・・シャシャの は・・・・
8月3日(月)晴れ
今日も天気予報では晴れ。
雲が多いけど、陽ざしはあり、暑い暑い徳之島です。
夕べはお月様が綺麗だった〜周りを雲が囲むような感じだったけど。
昨夕、あるホームセンターへ行く途中で、七夕飾りが立てられているのに気づいた。
この集落では、毎年、この船溜まりに七夕飾りが沢山立てられている。
昨日の段階で、まだ10本足らずだったけど、これから又増えるのかな?
山の方へ向かって写真を撮ろうと思ったけど
西日が強すぎて、海の方へ向かってパチリ。
ばばの集落では、各家庭に七夕を飾るとか、
集落のある場所に飾るとかいう事は無かった。
今思えば、良かったのか悪かったのか分からないけれど、
ばばは、毎年七夕前の図工事の時間に、子ども達に七夕飾りを作らせ
各家庭に持ち帰らせ、飾って貰っていた。
図工の教科書には無かったけれど・・・七夕飾り作りは。。。。
前もって、1週間ほど前に連絡はしてあっても
1年生の保護者にとって、飾りを付ける竹の準備が大変だったかも知れないなぁ・・・
とも思うけれど、竹林とか結構近場にある職場が多かったから
季節の行事を認識させるためにも良かったと思うこともある。
ひとりひとり七夕飾りを作らせて、皆で「たなばた」の歌を歌って、
各家庭に作品を持ち帰る。
でも、途中で、飾りが落ちてしまい、道路のゴミになった事も多々あっただろうな。
最近は、七夕飾りを持ち帰る1年生を見る事も無い。
きっと、全員で作って、教室の中とかに飾っているのかも知れないね。
「たなばた」の歌と言えば・・・未だに忘れられない事がある。
ある職場に勤務中、1年生は七夕飾りを作り、出来上がった後
「たなばた」の歌を歌ったのだが、元気なN君が特別大きな声で
「♪ シャシャの葉 シャーラシャラ〜〜♪」歌ったのだ。
思わず、可愛くて、吹き出しそうになった。
入学から丁度3ヶ月後位の事だったんだよね〜
もう、半世紀近く前の思い出だけど、なぜか「七夕」と言えばN君の事を思い出す。
N君も、もう、50歳前後になっているかなぁ・・・・
今、何処で頑張っているのかなぁ?
懐かしい!
そうそう、七夕飾りの事を書いていたんだった。
ばばがじじと結婚した頃、七夕が近づくと各家庭で高さ数メートルはあろうという
大きな竹に、それぞれの過程で飾りを付けて門に立てていた。
当時60歳だった義母は、五色のテープなどを飾っていた。
風にヒラヒラ揺れる五色のテープが何故か印象深い。
なぜ、各家庭で七夕飾りを作り、飾るのか?
聞いてみた事がある。
すると「お盆に、ご先祖様が、自分の家の七夕飾りを目標に
帰って来るんだよ」って。
この集落の昔ながらの、行事?何だろうね。
そう言えば・・・
実家集落へ行く途中の集落も、各家庭の門とかに
大きな七夕飾りが飾られていたような気がする。
義母亡き後、ばばは一度も七夕飾りを作って飾った事が無い。
両親始め、ご先祖様は帰る家が分からなくて迷っているのかなぁ・・・と
思ったり・・・・・
お盆と言えば、各集落しきたりが色々あるようで
初日はお茶だけ上げて、二日目は朝、昼、夜の3食と
午前午後のお茶も供えるが、食事でも何日目の昼は素麺とか
お茶には黒糖餅とか、色々あるようだ。
「ムシコ」と言われる型菓子も定番だった。
だから、今の時期、お店に行くと、お花や果物をかたどった
カラフルな型菓子が陳列されている。
親の時代は、何故か?毎食と2度のお茶の時間には
4人分ずつ供えていた。
でも、そんなに準備しても、食べきれない。
じじとばば、ふたりになってからは、慣習にとらわれず
自分達が食べる物を、ご先祖様にもお供えするようにしている。
古いしきたりなどを守ることも大事だけど、時代や生活様式に合わせる事も
又、大事なのではと思うばばです。
少し時間に余裕が出来たら、お盆前に実家のお墓参りに行ってこようと思っています。