たかが素麺、されど素麺

4月24日(水)小雨

小雨の徳之島。

庭のツンベルギアの葉っぱの間に赤い実が見えたので「????」。

更に、何か蕾?がビッシリ付いたような枝も伸びている。

不思議な事もあればあるものだと思いながら、よくよく見たら

別の植物がツンベルギアの間に伸びて花を咲かせ、赤い種になっているみたい。
ツンベルギア
(小さな赤い実と左側へ伸びた蕾状の物が分かるかな?)

かわいいから、引き抜かずに見守って行く事にしたよ。

さて、甥っ子君の帰省中に「お母さんの味」が話題になったが・・・

ばばにとって「母の味」は沢山あるけれど、その中でも「アンバ素麺(油素麺)」がダントツかな?
素麺

ばばがじじと結婚して、娘達が生まれ、毎週土曜日の夕方は家族で実家へ行っていた。

母は、孫達の分はおやつも準備し、夕食には「アンバ素麺」や煮物、

時には刺身なども準備して、ばば達を歓待してくれた。

我が娘達も成長し、部活が忙しくなったり、じじは部活始動が忙しくなった。

実家へ行く回数は減ったけれど、それでも娘やじじが家にいる時は

必ずドライブがてら実家へ寄り、夕食をご馳走になって帰って来ていた。

ばばが転勤で隣町勤務になった時、退庁後は必ず実家へ寄って帰った。

母は、門で、ビールの空きケースに座ってばばの帰りを待っていてくれた。

ばばが到着すると、すぐ台所に立ち、作ってあった「アンバ素麺」を

お皿に入れて出してくれた。

「アンバ素麺」や、作ってくれていた、おかず等をお土産に持たせてくれる事もあった。

「娘や娘の家族を思う」母の心遣いにいつも感謝しつつ

色々な話をし、周囲なが薄暗くなる頃には、実家を後にしていた。

たまに、「アンバ素麺」を実際作るのを見た事もある。

普通の素面をサッと茹でて、茹でた麺は水洗いせず、

少し温めた少量の油を入れた鍋に入れてかき混ぜるのが、母の「アンバ素麺」だった。

たまには青ネギが入っていたり、かまぼこや卵焼きが添えられる事もあった。

具とか何も入っていなくても、母の作る「アンバ素麺」はシンプルで美味しかった。

ばばの中では「アンバ素麺」こそが「母の味」だという思いも強く

作り方もしっかり覚えた。

それから数年経って、ばばは加計呂麻へ単身赴任した。

加計呂麻へ行って2年目だったか?職場で「油素麺」のことが話題になり

「油素麺なら作れます!」と、自信満々に「母流のアンバ素麺」を作った。

作っている途中で、同僚達は???な感じでは、ばばを見ていて

出来上がった「アンバ素麺」を試食した後も「???」な反応。

そして、先輩が言うには・・・・

ばばの「アンバ素麺」は、普通の一般的な「油素麺」では無いと言う。

ビックリしたのは、ばば。

何十年も、ずっと母が作ってくれた「アンバ素麺」を「油素麺」と信じていたから。

先輩達が作る「油素麺」は、しっかりとダシを取り、その中に茹でて、水洗いした素麺を入れるという・・・

勿論、ネギや肉、蒲鉾なども入れる。

違いは・・・茹でた素麺を洗うか、洗わないか・

ダシを作ってその中に素麺を入れるか、

熱した油の中に水洗いしない索麺を入れるかのふたつ。

退職した後公民館口座の「郷土料理教室」に通い、

そこでも「アンバ素麺」の作り方を習ったが、

やはり、加計呂麻で先輩達から習った作り方と同じだった。

加計呂麻の先輩達が作ってくれた「油素麺」も、郷土料理教室で習った「油素麺」も

ダシがきいていて、とても美味しかった。

でもね、ばばの中での「油素麺」は、亡き母が、ばば家族や、ばばに作ってくれた

茹でた素麺を少し熱した油と馴染ませただけの超シンプルな物。

オーソドックスな作り方をした「油素麺」が栄養的にも優れているのは分かる。

でも・・・ばばは「油素麺」と言えば、母が作ってくれた「アンバ素麺」を思い出す。

今回帰省した甥っ子君には、オーソドックスな「油素麺」を作ってあげた。

でも・・今回使い残した素麺が3束残っているので、

そのうちに、母流の素朴な「アンバ素麺」を作ってみようかと思っている。

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