小学生から「ユイワク」

6月9日(木)晴れ時々曇り(入梅25日目)
一昨日、同級生のM君が我が家へ立ち寄ってくれたことを書いた。
その時、M君が話したことが面白くて、ブログに書かなくちゃ!と思った。

ばば達が小・中・高校生の頃まで「お茶」や
「水」を買う時代が来るなんて夢にも思わなかった。
当時、水汲みは子どもたちの一番の手伝いだった。
まず、学校から帰ったら、天秤棒の両端にバケツを下げて
集落の外れにある泉に行き、水を汲んで運び
家にある水瓶が一杯になるまで、延々と泉と家を往復したものだ。
ばば実家集落の泉は、行く時は急な坂を下り
帰りはバケツ2杯分の水を天秤棒で担いで、その坂を上がった。

季節によっては、松の木の害虫?の幼虫?毛虫が道一杯に落ちていて
それを避けながら、坂道を上がるのはきつかった。
ばばの家は、大きな水瓶と小さな水瓶、それにお五右衛門風呂があったので
3つを満水にするのに、何十回、泉と家を往復したことか?
どうにかして、仕事をさぼりたいとばかり思っていたばばだけど
水が無くては炊事も出来ず、お風呂も入れず・・だったので
苦しくても、辛くても必死に頑張った。
当時、同級生の女子同士「私たち、毎日こんな重い物肩に担いでいたら
背が伸びないかもねぇ」なんて言っていた。
そのせいかどうか?理想の身長160センチに到達しなかったけど
同級生の殆どが、似たり寄ったりの身長だったし
ましてや身長とか体重とか、外見容姿とかには無頓着な時代だったと思う。
ばばの実家集落では、水汲みは殆ど女の子の仕事だったと思うけど
M君の集落では、男子も大事な水汲み要員だったらしい。
以下、M君が話した事だけど・・・・
M君の集落には同級生男子が4名いた。
その4名、まず学校から帰ったら水汲み?(水担ぎ)が仕事だった。
M君の家族は当時9人?の大家族で、他の同級生の家は
だいたい3,4人家族だったそうな。
だから、当然M君の家は大きな水瓶が幾つもあり
全部満水にするには、ひとりでなら30回以上、泉と家を往復しなければならなかった。
M君達が偉いなぁと思ったのは、小学生だった当時
4人の男子で「水担ぎ」を協力してやることにしたそうだ。
まず、4人でA君の家の水瓶を満水にし、次にB君、次にC君
次にM君の家・・・というように。
家族の人数の少ないA君・B君・C君の家は4人で2回も水を運べば
水瓶は満水になった。
そして、大家族のM君の家の分は4人で約5回か6回運んで満水。
A君・B君・C君にしてみれば、何か凄い損をしていることになるかも知れない。
疲れ果てもするだろう。
しかし、誰ひとり文句も言わず、毎日4人で協力し合って水担ぎを続けたそうだ。

ばば達が、小学校中学年か、高学年になった時、集落の数カ所に
簡易水道が設置された。
その水道まで、我が家ら50メートル位だったけど
「蛇口をひねれば水が出る!」
まるで、マジックのようで、嬉しくて、嬉しくて、
空のバケツ二つを天秤棒で担いで、水道までスキップして行ったのが懐かしい。
その後、何年かして、各家庭に水道が引かれ、水汲みの重労働?から
やっと解放された。
今の子ども達からしたら、信じられないし「どの位前の話?」って
思うかも知れないけどね。
今や、水道が各家庭にあるのが当たり前になっているけど
ばばが子どもの頃からしたら、夢みたいだものね。
難儀な毎日の水汲みだったけど、
家族の一員としての役割を果たすことの大切さを
毎日の生活中で学んだと思う。
島には、昔から「結い」という言葉がある。
「ユイ」とは、「助け合う」という意味であり、助け合って仕事をすることを
「ユイワク」と言っていた。
農作業や、家の新築等時は、親戚、時には集落中の人達が協力し合っていた。

M君達は、小学生の頃から、この「結い」を実践していたんだね
当時、M君の仲間だったA君・B君・C君、共に卒業後は都会へ出て行き
今は、帰ってくる事も無いそうだ。

M君の話を聞きながら、「懐かし小・中学校時代の同級生に会ってみたいなぁ」
と、強烈に思ったばばでした。

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