お悔やみが続いて・・・
6月8日(日)晴れ
5月後半から今日まで、次々とお悔やみがあり今日で4回目。
斎場までは近いけれど、お通夜は夜なので
ばばが運転する車でご近所さん数名といつも出かけている。
今日は夕方の買い物をしながら姉と出かけ
その帰りの車中で話した。
「3,40代の頃って、お通夜やお葬式に行く事ってほとんど無かったよね」って。
親が元気な頃は、よっぽど自分が親しい方で無い限り
お通夜とかにも行かなかった。
でも、今は自分の両親も、じじの両親も亡くなったり
施設でお世話になっていて、日常的なお付き合いは
全てじじとばばがしなければならない。
世代交代というか・・・・・自分がそれだけ年をとったということかなぁ・・・・
先月も書いたと思うが、ばばの実家集落では
今でも1日・15日にはお墓参りをする人が多い。
先のブログでも書いた通り、ばばの実家集落のお墓は
集落から急な坂を下りて行かなければならない。
行きは坂を下り、帰りはその坂を上って帰る。
ばばが若かった頃は、お墓に水道が無かったので
各家庭からヤカンに水を入れて持ってお墓へ行き
湯飲みを洗ったり、花を取り替えた竹筒に水を注いだりしていた。
今は水道が出来てとてもありがたいと思うと書いた。
今日、姉から聞いた話。
ばばの家でも、お墓参りは母が行っていた。
背負いカゴにお墓に飾る、花香とよばれるイヌマキの枝を入れて背負い
手には水を入れたヤカンを持ってお墓に行っていた。
しかし、80才を超える頃から母は足が弱くなり
急な坂道の上り下りはきつくなった。
そんな母の代わり、父がお墓参りに行くようになった。
父もやはり母がしていたように、花香をカゴに入れて背負い
水を入れたヤカンを持ってお墓へ行っていた。
80才を過ぎても、最低でも月に2度はお墓へ通っていた両親。
先祖を大事に思っていたんだなぁと思う。
「今の時代なら、もし、お墓に水道が無くても
ペットボトル等、蓋の閉まる容器に水を入れてカゴに入れて背負って行けるし
車に乗れる人なら、車で行けばお墓参りは簡単に済ませられる。
親の時代って本当に大変だったんだね」と姉が言った。
当たり前のように、車で実家集落へ行き
生花の代わりに造花を飾り、設置された水道で
楽々湯飲みを洗う。
時代の流れと共に人々の生活様式も大きく変わっているけれど
自分たちは「当たり前」と思う事でも、
親や先祖は大変な思いをしていた事の多いことに
時には思いを馳せることも大事だなと思う。
今はばばの暮らす島でも、人が亡くなった時は火葬にする。
しかしばばの両親が亡くなった、約20年前までは土葬が普通であった。
だから、お葬式は集落中の方が協力して執り行われていた。
先日、ネットで見たか、ある書物で見たか忘れてしまったけど
ある国で、これまでは人が亡くなったら「土葬」だったけれど
これからは「火葬」にすると言うことが決まったそうだ。
すると、80才以上位の高齢の方々が
「火葬にされるのはイヤだ。早く土葬にしてくれ」と言って
自ら命を絶たれる方が増えているそうだ。
死んだ後でも、自分の体が焼かれるっていうことに抵抗があるのかなぁ。
ばばは、まだ自分の死後のことまで具体的に考えることはあまりないけれど
誰にでもいつかは訪れる「死」。
真剣に考えることも必要かなぁと思うこともある。
色々な事を考え始めるときりがないけれど
とにかく、周囲にご迷惑をかけないように日々生きることが大事かなぁと思う。
お悔やみが続いたせいか、今日のブログは何だか
自分でも「うぅ〜〜〜ん」って思いながら記してしまった。