「ガンダタ」には「ガン」を入れるか?他
5月24日(金)雨時々曇
子供の頃の何気ない会話や出来事でも、
人によっては、大人になってからもずうっと忘れられないで
心に残ることがあるんだね。
こう考えると、自分の行動や、他人との会話に気をつけなくちゃぁ・・・
と、今更ながら思うばばだよ。
ばばは、子供の頃、凄いお喋りだった・・・・らしい。
これは、うっすらと記憶している。
だから、従兄弟のK兄さんから
「ばばは、大人になったら女弁護士にならんといかんね」と、よく言われた。
弁護士って、そんなにお喋りするのかなぁと
当時、チラッと思った。
全く別の職業に就いたけど、やはり話すことは多い仕事だったかな?
これは、以前にも書いたことがあるけれど
幼稚園入園前の出来事。
ばばの家は自家製糖をしていて、畑の近くに製糖工場があった。
絞ったキビ汁を炊く大きな釜があり、
圧搾機はキビを刈り取った畑の真ん中に設置していた。
製糖時期になると、ばばも立派な働き手。
朝から晩までキビ圧搾機を動かすために、牛追いをしていたよ。
圧搾機を動かすための動力が牛だった時代の話しだよ〜
牛が止まったら圧搾機も止まるので、ばばは細い青竹を持って
牛の後から「フイッ、フイッ」と声をかけながら、1日中、牛追い。
そんな時も、ばばは喋りっぱなしだったのだろうね。
製糖をする時、煮詰めたキビ汁を大きな鍋に入れて
父や親戚のお兄さん達が大きなシャモジのようなものでかき回していた。
かき回し続けることによって、砂糖がだんだん固まってくるのだが
しっかり固まる前の、水飴状の黒糖の美味しかったこと!
この水飴状の砂糖を「ガンダタ(ガンザタと言う所もあるらしい)」と言っていた。
前述のK兄さんがある日、ばばに言った。
「ばば、ガンダタはね、ガン(川ガニ)を入れないと出来ないんだよ。
だから、今からブチゴー(近くの山の中の川の名前)に行って
ガンを取っておいで」と。
ガンダタ大好きなばばは、兄さんの言葉を聞いて
すぐに「うんっ」と元気よく川に向かって走り出した。
だって、当時、島は御菓子など種類も少なかったし、買う余裕もなかったし
おやつと言えば、量り売りで買う白糖を少し舐めるか、
煮た芋か、イリコの炒めたものか、季節によってはミカンやサトウキビだったからね。
柔らかくて甘い「ガンダタ」は最高のおやつだったんだよ。
川に向かって走り出したばばの後から、何故かK兄さんも走ってきた。
ばばは、兄さんも一緒に「ガン」を取ってくれるのかと嬉しかったが・・・・・
ばばに追いついた兄さんが言うには
「ブーチゴーは、子供がひとりで行ったら危ないから、行かなくて良いよ。
いつか、私がガン取ってくるから」と。
「でも、ガンダタ食べたい」と言うばばの手を引っ張って
兄さんは又作業場に戻った。
その日も、ガンを取ってこなかったにもかかわらず「ガンダタ」は食べさせてもらった。
ばばは、(きっと、誰かがガンを取ってきて
キビ汁の中に入れてくれたのだろう)と信じていて、
K兄さんが、ばばをからかっていたなんて、夢にも思わなかった。
それにしても、入園前の女の子がひとり
山の中の川へカニを捕まえに行くって、ばばは食べるためなら
恐いもの知らずだったんだね。
「無鉄砲」と言った方が良いのかな?
ブーチゴーとはね、当時、近くの山には徳之島の妖怪「ケンムン」がいるって言われていたし
川に行くまでの道も両側から木の枝が覆い被さってくるようで
昼でも薄暗い気味の悪い・・・その上、細い坂道で
大小の石がゴロゴロあったんだよ。
だからね、普通は必ず母の洗濯の時、一緒について行ったり
川の近くにあった親戚の田植えの時に、
やはり大人の人と一緒にしか行ったこと無かったんだよ。
キビ汁を煮詰めるための大きな四角い鉄製の鍋に
ばばは、何匹くらいの「ガン」を捕まえてきて入れるつもりだったんだろう。
入れ物も持たず、素手で、裸足で駆け出した小さな女の子。
「ガン」だって、子供に簡単に捕まえられるはずもないのにね。
子供の頃のばば・・・・・素直だけど、ちょっと変な子だったかな????
その「ちょっと変な子」が、今は娘達から「不思議ちゃん」と呼ばれているよ。
性格は変わらないものですなぁ・・・・
この「ガンダタはガンを入れないと出来ない」話を、
去年、ガンを捕まえておいでと言ったK兄さんに話したよ。
そしたら、「へぇ〜、そんなことがあったの?覚えていないなぁ・・・」と笑っていた。
ばばは、し〜〜〜〜っかり覚えているんですけど。。。。。
幼い子供って純粋だから、大人の言うことを素直に聞くんだよね。
以前、我が家の孫達に、ばば姉が「おばちゃん、年をとり過ぎって
いっぱいだから、SちゃんとRちゃんにあげようかな?」と言ったら
競って「欲しい!欲しい!もらう!」って言ったと姉が笑って話したけど
ばばも、子供の頃はいたって素直だったのかな?
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素直なのは良いけれど、先生の話をまともに聞かなかったらしい。
幼稚園か、小学1年生の頃の遠足でお弁当持たずに学校へ行ったのよ。
この時は、ばばだけでなく先述のK兄さんの子、Sちゃんもね。
先生に、Sちゃんとふたりは家に弁当取りに帰らされたんだけど
当時は、サッと帰って「ハイッ」と弁当が出来る時代ではなかった。
ばばの家は、その日ご飯が、もう無かった(朝で全部食べたから)。
そこで、母は貴重な貴重な卵で卵焼きを作ってくれ
それから数軒先の親戚のおじさんの家にご飯をもらいに行ったら
そこもご飯はなく、Sちゃんのおじいちゃんの家に走って行った。
Sちゃんも、居た。
Sちゃんも、きっと自分の家にご飯がなかったんだろうね。
幸い、Sちゃんのおじいちゃんの家ではご飯があって
ふたり分、大きなおむすびを作ってくれた。
頂いたおむすびと、家から持って行った卵焼きを母はバナナの葉っぱで包んでくれた。
Sちゃんのおかずが何だったかは覚えていない。
無事、お弁当を作ってもらったふたりは、勇んで学校へ走って帰ったよ。
ばば達が戻ると、ほどなく遠足に出発。
行き先は学校と目と鼻の先の公園。
公園と言っても、遊具など何一つ無い。
小高い丘と言った方が良いかな?
公園では、木に登ったりぶら下がったりして遊んだり、
木の葉や野草等で色々工夫してままごと遊んだりして・・・・・
いよいよお弁当〜〜〜
なのに、横着なばばは柳の木に登ったままおむすびを食べようとしたら!
日本昔話の「おむすび ころりん」を再現!
落っこちたおむすびを拾うために。
木から飛び降りた拍子に、したたか尻餅付いて半べそ。でも、おむすび拾わなくちゃ!
拾ったおむすびは砂や枯れ草が付いていた。。。。。。。
でも、できるだけ砂や草を払い落として食べたよ、勿論。
貴重な白米ご飯だもの。
この、遠足当日お弁当を忘れて、(ばばにとっては)叔父さん
Sちゃんにとってはお祖父ちゃんの家に行ってご飯をもらった、
あの遠足の思い出は忘れられない。
でも、数ヶ月前、Sちゃんにこの話をしたら
Sちゃんは「そんなことあったの?」って。
奇しくも、Sちゃんとは「弁当忘れた遠足」、Sちゃんのお父さんとは
「ガンダタにはガンを入れて作る?」という何十年経っても忘れられない
思い出があるけれど、覚えていたのはばばだけ。
Sちゃん父子は、「そんなことあったの」って笑っていた。
同じ体験、思い出でも人それぞれ「思い出の重さ」が違うんだよね、きっと。
みんな、みんな貧しかったけど助け合って精一杯暮らしていた時代の話しだよ。