再び・・1枚のメモ
4月19日(木)雨
ここ数日、毎朝三女さんからメールが届く。
嬉しい!
忙しい朝の出勤前に送信してくれているのだ。
このメールで「ヨッシャ〜今日も頑張るぞ〜」と
ばばの「やる気モード」スイッチオン。
娘達も頑張ってる!ばばも負けずに頑張らなくちゃ。
「頑張る!」ってあまり気負いすぎると
心身共に疲れるけれど、ばばの場合、
「まぁ、ボチボチ」・・と言うくらいの頑張り。
せっかくやる気満々だったのに、今朝は雨。
雨の日は、嫌いじゃないけれど何故かテンションが下がるなぁ・・・・
娘達の今日1日が平穏でありますように・・・・
と祈りながら、今日は、ばばも屋内で出来る仕事をコツコツやっていこう。
今朝、朝食時テレビを見ていたら、NHKの地方版で
今や徳之島の有名バンド、「オヤジバンド・まぶらい」のことが取り上げられていた。
決勝戦でグランプリを勝ち取った場面は何度見ても
胸が熱くなるばば。
やはりばばの体の中には島を愛する「島の人(シマンチュ)」の血が
流れているんだなぁ・・・と再認識する。
数日前、1枚のメモという題でブログを書いた。
義父が、我が家の長女が初めての子を出産した日に
生まれた子(曾孫)の、身長・体重などをメモし
更には当日の日めくりカレンダーもメモに貼ってあった・・・と。
長女は、このブログを読み涙が溢れて止まらなかったとメールが来た。
そして、長男にも「曾祖父母がいかにあなたの誕生を待ちわび
喜んでくれたか」話したら4年生の彼も泣いたって・・・・
義父母にとって、我が家の長女は娘同様。
過去、何回も書いたが、じじとばばはずぅっと仕事をしていて
転勤も伴うので、生まれたばかりの長女は生後3ヶ月から
義父母が育ててくれた。
後になって考えると、いくら自分たちの孫とは言え
生後3ヶ月の孫を預かって60代の義父母が育児をしてくれた・・
ということは並大抵のことで出来るものではない。
それを3年間も、そして途中からは2番目の孫も一緒に育ててくれた。
じじとばばが海を隔てていて、緊急事態にも
おいそれとは駆けつけられないという地理的条件の中で
孫ふたりを預かってくれた両親。
今のじじとばばにはとても真似が出来ない。
その後、じじとばばが徳之島に戻ってからも昼間、我が家の三姉妹は
ずぅっと両親が見守っていてくれた。
じじとばばにとって、両親は正に「恩人」=「神様」。
自分の両親のことをこんな書き方をしたら
世間からは笑われるかもしれないが、でも、これはじじとばばの本音。
長女も、「もう一回じいちゃんの声が聞きたい、話がしたい」とメールに書いている。
義母は、まだまだ話も出来るが、義父は・・・
悲しい・・・・・・・・・・
毎日病院へ行き、義父の顔色と表情を見て
又、氷枕をしていないことを確認した時が1番ホッとする時だ。
義父のメモは、長女にとって宝物になるだろう・・・・
今度長女が帰省した時は、しっかり引き継ごうと思っている。