あれから1年
3月11日(日)柔らかな春の日差し
ここ、徳之島でも数日前から町の防災無線を通じて
「11日の午後2時46分都合のつく方は
大震災で亡くなられた方々のご冥福を祈ってへ黙祷を捧げましょう」と
くり返し、放送が流れていた。
そして今日、町の防災無線からも、テレビの追悼式会場からも
「黙祷〜〜」の声が。
ばばも、正座し北へ向かって黙祷した。
悪夢の震災から1年。
被災された方々にとっては筆舌に尽くせぬ苦しみ、
悲しみの1年だったことでしょう。
そして、その悲しみ苦しみが癒やされる日が来るのだろうか?
今日は、ラジオもテレビも当然ながら震災関係の番組が多い。
1年前の、2時45分までは平常と変わらぬ生活をしていたであろう
東日本の方々。
その1分後に、こんな未曾有の災害が起ころうとは・・・・・
我が家では1年前の3月11日、じじは定期検査のため翌日上京すべく準備していた。
ところが、午後2時46分のあの大惨事の序章が・・・じじの上京は翌月に変更。
その後、次々とテレビが伝える惨状。
東北地方だけでなく東京でも大パニックの様子。
我が家の娘達ともすぐには連絡がつかず、
宮城県仙台市にお住まいの友人Aさんにも連絡しようにも手段がない。
その後、娘達とは何とか連絡がつき、翌日仙台市在住のAさんからも
「何とか無事でした」という連絡が・・・・
「何とか無事でした」とは連絡戴いたものの
人的被害はなかったものの、家屋は被災して、
去年末までも復旧は不可能な状態だったらしい。
寒く厳しい冬、どのような思いで過ごされたことだろう。。。。
すぐ駆けつけ、お手伝いも出来ないばばは
只ひたすら祈ることしか出来ない。
復旧までは何十年もかかると言われている。
それでも、完全復旧はできないかもしれない。
災害はいつ起こるか分からない。
普段の備えが大切と言うけれど、人智を越えた打撃を与える災害は
いつ、どこで起きるか分からない。
平凡な日常が過ごせるということの大切さを改めて感じた。
絆の大切さも学んだ。
学ぶだけでなく、これから生かしていかなくてはいけないとつくづく思う。
ばばも去年の震災後、携帯用の小さな懐中電灯や電池式でつかえる携帯の充電器・
電池・笛・マスク・マジックとメモ帳・携帯用ラジオ・濡れティッシュ等準備はした。
これらをリュックに入れてすぐ手の届く所にと思いながら
まだ、リュックにまとめてはいない。
そろそろきちんと整理してリュックに入れておきましょうね、ばば。
今日は改めて被災された方々に思い馳せ、
「絆」ということについて考えた1日でした。